まだ、時期尚早か——。下手に口にすることで、もしかするとこの事実が崩壊するかもしれない。
ということは、まだ言うべきではないのか・・いや、もう大丈夫だろう。そうだ、きっと大丈夫に違いない。
何度も自問自答した上で、わたしは覚悟を決めた。そして今、ここに重大な事実を告白しよう。
なんとわたしは、今年というか今シーズン、一度も静電気による攻撃を受けていないのである。
こんな奇跡があるだろうか。冬といえば毎年、至るところで静電気による過度で陰湿な攻撃を受けるのが常。それが、二月も終わりに近づいているというのに、まだ記憶に残るような攻撃がないのだ。
いつだったか帰宅時に鍵穴へ鍵を差し込んだ途端、その奥で鋭く火花が散った。一瞬、誰かに狙われているのかと身構えたが、あれは静電気の仕業だろう。
そして水道で手を洗おうとすれば、指先にチリッと刺激を覚えるわけで、それもやはり静電気の仕業である。
衣服を着脱すればパチパチという嫌な音とともに、髪の毛は一方向にペッタリとへばりつく。エレベーターのボタンを押せば、針を突き刺されたかのような痛みに襲われる。誰かと手が触れれば、やはり鋭い刺激に顔を歪める——。
これがわたしの"冬の日常"である。
静電気防止グッズは山ほど溜まり、それでも親切な友人からは新たなグッズが送られてくるわけで、全身くまなく静電気除去対策を施しているにもかかわらず、何をどうしてもわたしの放電(帯電)は止まらないのだ。
たとえば金属製のドアノブに触れる前、何度も静電気除去シートにタッチしたところで必ず静電気は起きる。
車のドアハンドルなど百発百中で電気が走るので、自らドアに触れなければならないときは、覚悟を決めるまでの間ドアハンドルとのにらめっこが続くのだ。
そして、いよいよ金属と接触しなければならない・・となった時は、鬼の形相で手を振り上げると、ものすごい勢いでドアノブなりドアハンドルを叩きつける。どちらかというと平手打ちに近い形だが、中途半端な威力ではダメ。指が痛くなるほど叩きつけなければ、静電気のバチッに負けてしまうからだ。
それはもう骨が折れたかと思うほど、中指の第二関節を激しく打ちつけたこともある。痛々しく紫色に内出血していたが、「ここまでやれば、さすがの静電気も死んだだろう」と、涙目でふたたび指先を近づけた途端、バチッ!と来るのだからやってられない。
この恐怖から逃れるべく、指先ではなく肘打ちや肩打ちをしたり、場合によっては膝蹴りやサンダルのつま先でタッチしたりと、とにかくあらゆる部位を駆使して静電気を回避しなければならないのが、わたしに課せられた"冬の苦役"なのだ。
そしてこれは高校時代・・いや中学時代から続く体罰であり、決して免れることのできない呪いなのだと、半ばあきらめて生きてきた。
——そんなわたしに、人生の転機がやって来たのである。
今年はなんとなくだが、静電気の恐怖に脅かされていない気がする。とはいえ、衣服も持ち物も例年と比べて変化はない。
唯一異なるものといえば、ヤクの靴下くらいだが、さすがに足元がヤクの毛だからといって、帯電しないことなどあるのだろうか——。
(いや、あるかもしれない・・・)
もしかするとこれは、ヤクのチカラなのかもしれない。なんせ、それ以外にわたし自身に変化はないのだから。
日頃から保湿クリームは塗らないし、常に化学繊維の衣服を着用している。おまけに空気は乾燥しているし、わたしが帯電する条件はそろっているのだ。
それなのに、今年に限って静電気と対峙しない理由が、ヤク以外のどこにあるというのか。
*
この手のことは、口にした瞬間に崩壊する恐れがある。
しゃっくりでありがちなパターンだが、「あ、(しゃっくりが)止まった!」と言ったそばから、ヒック!としゃっくりが出る、アレだ。
だからこそわたしはナーバスになっているが、パソコンのキーボードにしか触れていない今は記録更新が続いている。
どうかこのまま春を迎えられると信じたい。静電気のことなど忘れて、堂々と金属と触れ合いたい——そう願いながらも、内心ビクついているのであった。
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