日本財団を知らないネット民へ

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外から見る自分と内で感じる自分とが、同じであることは滅多にない。

そもそも、自らの顔を自ら直視できない我々は、鏡を通さなければ自分の姿を認識することもできない。それはすなわち、他人の瞳に映る自分を見ているわけではなく、あくまで鏡に映された"反転した自分"を見ているだけなのだが。

 

画像であれ動画であれ、一枚噛んだ状態の自分しか見ることができないということは、当然ながら自分自身が感じる「自分」というものと、他人から見た自分との間に、限りなく近いが永遠に交わることのない"距離"がある。

だからこそ、他人の勝手な思い込みで「わたし」という人物像が出来上がることに、不満を感じつつも理解は示さなければならないのだ。

 

逆に言うと「わたし」は常に他人目線でしか成立しないのだから、内から見る自分というものは、この世で一人しか知ることもこだわることもしないわけで。

——などとブツブツ呟きながら、ネット民が好き勝手に騒ぐ様子に辟易としていた。それは、

「能登半島地震の被災地への支援をしている日本財団は、怪しい団体だから寄付するべきではない」

「日本財団自体が金持ち財団なんだから、寄付を集める前に自分たちで支援すればいい」

といった、被災地支援に関する日本財団が行う募金行為への文句だった。

 

まぁ、その組織が怪しいかどうかは個人の判断によるものなので、怪しいと思えば怪しいし、関係者や世話になった者ならばそう思わないのだろう。

だが、「どうせ日本財団が中抜きするんだから、あそこへは寄付しないほうがいい」という主張だけは無視できない。なぜなら、それは絶対にあり得ないことだからだ。

 

日本財団の財源は、ボートレース(競艇)の売上げの3.1%(2024年4月1日現在)でできている。そして、その売上金を公益事業に助成するための組織であり、ボートレースの存在意義がそこにあるため、達成されなければボートレースはこの世から消えることとなる(法律を改正しない限りは)。

だからこそ、能登半島地震被災地への支援金を募ったところで、"中抜きをする"ということは絶対にありえない。正確には、中抜きをする意味がないというか、そこを財源にしてはならないルールで成立しているからだ。

 

また「金持ち財団なんだから、自分たちで支援すればいい」という意見に対して、"そうできない理由がある"という事実を知っておいてもらいたい。

原則、ボートレースの売上金の一部を活用した助成事業と、寄付金を活用した支援事業とが日本財団のするべき事業。そして、ボートレースの売上金のほうは「助成事業」に対して使われるため、ただ単に"寄付をする"という一方通行に使われることはない。

だからこそ、「支援事業」である寄付金について、手数料などの心配をせずとも100%被災地へ送ることのできる団体として、日本財団ならば確実にそれが実行できる・・・と断言できるのだ。

人件費や手数料などの心配をすることなく、キッチリ横流しできる実力があそこにはある——それだけは声を大にして伝えたい。

 

なぜなら、わたしの社会人生活第一歩は日本財団だったからだ。

 

スーパー異端児を迎え入れてくれた懐の広さにも感謝だが、仕事に携わる中で感じたことは、カネというか数字に関してかなり厳格に処理をしているということだった。

当時わたしは広報チームに在籍していたので、事業部門の大変さは外野的に見守るしかなかった。それでも、不正を許さない毅然とした態度はトップダウンで徹底されており、その見事な統制には新人ながら圧倒された記憶がある(むしろ、わたしには無理だと逃げ腰だった)。

 

大きな組織、有名な団体ともなると外部からの嫉妬や横やりも当然ながら増加する。それでもブレずに今日まで君臨する背景には、歴代の会長や理事長はじめ、組織の人間のプライドと信念を感じずにはいられない。

中抜きだのネコババだの、そんなつまらない不正に現(うつつ)を抜かすほど、日本財団はちっぽけな組織ではない。むしろそういう発言を見聞きすると、発信者の無知を残念に思い、腹が立つどころか恥ずかしさを感じるわけで。

 

"政治的な思想"等の、事業に直接関係ない部分への干渉は個々に委ねるが、一般企業にはできないことを公益財団法人である日本財団が担ってくれているのだから、素直に「サンキュー」でいいと思うのだ。

 

 

そういえば日本財団ビルの一階に、スワンカフェ&ベーカリーがテナントとして入っているが、あそこのコーヒーは美味かった。もちろんパンも美味いわけだが、スワンを利用できる贅沢が、日本財団職員たるわたしのモチベーションだったことを思い出す。

ちなみにスワンカフェは、障害者の自立と社会参加を目的として、ヤマト福祉財団によって誕生したカフェである。障害者であろうがなかろうが、美味しい食べ物を提供することでそれ相応の対価を受け取る・・という、至極当然な労働環境が実現しているのだ。

 

とにかく、社会人たるわたしの基礎を築いてくれた日本財団に、今でも感謝と懐かしさを覚えるのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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