ぎっくり腰のプロの実力
定期的にぎっくり腰を発症するわたしは、ある意味「ぎっくり腰のプロ」である。むしろ、ぎっくり腰になる前から予兆を察知し、みるみる迫りくる”大災害の本番”を手ぐすね引いて待ち構えるほどの余裕がある。 そんなわた...

変定期的にぎっくり腰を発症するわたしは、ある意味「ぎっくり腰のプロ」である。むしろ、ぎっくり腰になる前から予兆を察知し、みるみる迫りくる”大災害の本番”を手ぐすね引いて待ち構えるほどの余裕がある。 そんなわた...
変ふと疑問に思ったことがある。それは、いわゆる「真夏」ってやつがいつ訪れるのだろうか・・いや、もうすでに8月半ばなのだから、いつ訪れたのだろうか?ということだ。 ここ数日、東から西へと逆相する異...
変なにかに挑戦するのに「遅すぎる」ということはない。勉学にせよ趣味にせよ、思い立ったが吉日。 むしろ、明日ではなく今日でよかったと思えるくらい、いつだってその一歩を踏み出すことができる——そう信じて生きてきた...
ピアノわたしは今日、生まれて初めて「打撃音」を聞いた。というか、今までもずっと聞こえていたはずだが、それが打撃音であることに気がつかなかったし、聞き分けようとも思わなかった。 だがようやく、打鍵によって響く「実際...
変ここ数日、わたしの身体に異変が起きている。具体的には、日を追うごとに”恐るべき痕跡”が記されていくのだ。 あえて一つずつ、毎日カウントしていることを告げるかのように、昨日までは何もなかった右の膝裏に今日は新...
変買ったはいいが滅多に使わないもの・・といえば、何が思い浮かぶだろうか。 ミニマリストならば無駄な買い物とは無縁だが、多くの者は「これがあったら便利かも」とか「いつか使うかもしれない」といった、滅多に訪れない...
変なんだかんだ言って、結局は「誰」という部分が大きなウエイトを占めているのが、この世の常というもの。 その証拠に、同じ行為であっても「誰がやったのか」で印象が変わるから面白い。 たとえば、仲のい...
変人類にとって急所の一つである、”弁慶の泣き所”すなわち「脛(すね)」という部位は、ぶつけるとなぜこんなにも痛いのだろうか。 なんせ、弁慶といえば歴史に名を刻む怪力かつ鋼の肉体を持つ豪傑として知られた、伝説の...
ピアノ今さらではあるが、『意識を持って取り組むと、動き(結果)が変わる』ということを痛感したわたしは、これまで費やしてきた莫大な時間はなんだったのかと、茫然自失するしかなかった。 文字にするとあまり...
変(これは、わたしが悪いのだろうか・・いや、どう考えてもわたしは悪くない。というか、むしろ自作自演に近い運の悪さであり、自身の薄幸を恨むべきだろう) などと思いつつも、半ギレの山姥(やまんば)に睨まれる哀れな...
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