なんとわたしは、予備自衛官補の採用試験で不合格となった。受験者のほとんどが合格できる、むしろ落ちるほうが難しいはずの試験で、見事に不合格となったのだから逆に誇らしい。
思い返せば、"受験番号が張り出される系"の試験で落ちたのはかなり久々・・いや、初めてかもしれない。その昔、大学入試の合格発表といえば、受験校の敷地内に設置された掲示板にズラリと並んだ合格番号を探し、「あった!」「なかった・・」と一喜一憂する姿が風物詩だった。とはいえ、地方からわざわざ東京へ出向くのも面倒だったので、わたしは合否通知が届くのを待つ派だったが。
ちなみに一浪したときは、すでに大学生となっている友人に張り出しを見に行ってもらったが、じつはウェブでも確認ができるので、わざわざ足を運ぶ必要はなかった。それでも、ドキドキしながら自分の番号を探す・・という行為は、そう何度も味わえるものではない"貴重な青春"だったのかもしれない。
大学受験以外でも、資格取得試験などで受験番号が張り出される、あるいは画面に表示される形で発表される・・というシチュエーションはあったが、いずれもわたしの番号がそこには表示されているので、「あって当たり前」という感覚でこれまで生きてきた。
ところが人生の後半に差し掛かったところで、しかもほとんどが合格する採用試験で、わたしは自分の番号を見つけることができなかったのだ。
(・・・やっぱり)
だが、じつはそこまで驚きはしなかった。なぜなら、採用試験というものとの相性の悪さは、かねてからの折り紙付きだからだ。
新卒採用で就職活動をしていた頃、とある新聞社の内定発表日に合否通知が届かなかったことがある。最終面接を終えて、決してネガティブな印象を抱かなかったわたしは、あわよくば採用してもらえるのでは・・と期待に胸を膨らませていた。
ところが、合格どころか採用見送りの連絡もないではないか——。待てど暮らせど郵便物は届かず、あっという間にその日は終わってしまったのである。
そして翌日、今度こそ合否通知の封書が届いた。そそくさと開封してみると、そこには「残念ながら今回は・・・」の文字があった。
受験系で、手応えを感じつつ落ちたことのないわたしは、この結果にショックを隠せなかった。なにがダメだったんだろう——少なくとも、3回の面接では等身大の自分を表すことができたし、それを受け入れてくれたように感じたが、まさか筆記試験の点数が絶望的だったとか・・?
どれほど考えたところで、不合格の結果が覆ることはない。そしてこれは採用試験なわけで、相手が「一緒に働きたい、こいつを雇用したい」と思わなければ、どれほど優秀な人材であっても受け入れてはもらえない。そこが"能力検定系の試験"との大きな違いなのだ。
数日後、とある伝手で「君に会いたがっている人がいる」という話をもらったわたしは、東京競馬場へと向かった。そこで待っていたのは、不採用となった会社で面接官として同席していた、あのときの男性だったのだ。
「僕が謝るのもおかしな話だけど、本当に申し訳なかった」
深々と頭を下げる男性を目の前に、意味も分からずわたしは動揺した。そして話を聞くうちに、みるみる頭が真っ白になっていった。なぜなら、内定発表が一日ズレたのは"わたしが原因"だったからだ。
わたしを採用するか否かで揉めた結果、他の者たちについての協議ができないまま終わってしまったのだそう。そして、最終的にわたしが不採用となった決め手は、立場ある人間からのこの発言だった。
「じゃあ、あの子を採用してもしも何かあった場合に、あなた方は責任をとれるんですか?」
キャリアアップしかり、家族を養う立場にある採用担当者たちは、全員黙ってしまったのだそう。
この話を聞いた瞬間、わたしは怒りと悲しみで目頭が熱くなった。3回の面接でわたしと直に話をし、縁故もなければ優秀でもない異質なオンナに、それでも興味を持ってくれた面接官たちは全力でわたしを推してくれた。それに対して、最終面接でちょろっと会話をした程度の某役員が、全力でわたしを否定した。——おまえに、わたしの何が分かるというんだ。
他人にどう思われようが勝手だが、わたしを知りもしないで見た目や雰囲気で判断・・しかも、勘違いの判断を下されるのは勘弁ならない。たしかに、短時間の面接で採用する人間を選ぶには、直感的な要素が重要となる。しかし、明らかに表面上でしかヒトを見ていない場合、猫を被った者勝ちではないか。
——いや、それでいいのだ。まずは他人に気に入られること、そして「こいつは使える」と思わせることが、信頼を得る第一歩となる。それなのにわたしは、素の自分を前面に出して相手の城に踏み込んだのだから、よっぽど相性がよくなければ受け入れられるはずもなく、そんな"博打"に出るほうが間違っていたのだ。
・・・という昔話を、今回の不採用結果を見た瞬間に思い出したのであった。
*
しかしながら、改めて思うが防衛省というか地本は大したものだ。わたしのような異物を混ぜ込めば、それこそ全体的な和を乱す可能性が高い。それゆえに事前に排除したわけで、これはある意味正しい判断だったといえる。
逆にわたしがそちらの立場ならば、やはり同じく"わたし"を落としただろうし、組織のコンプライアンスを維持するには、異物を加えないことが一番の特効薬となるからだ。
・・とはいえ、どんな理由であれ他人から拒絶されるというのは、ちょっと心が痛むのであった。
な、なぜにまた予備自衛官の試験を!?
必要だろ?(呪術廻戦の主人公・虎杖風)