銃器と猫に迎えられて

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夜遅くに友人宅へ到着すると、迎え入れてくれたのは綺麗な猫たちだった。いずれも保護猫を引き取り育てているのだそうだが、どの子もとても美しく、品のある猫だった。

そのうちの一匹は、クリームブリュレのような淡いブラウンの毛色で、撫でるとこれまた滑らかな手触りにうっとり。しかしなぜか、背中の毛は短く刈られているにもかかわらず、頭や尻尾は元の毛並みのままだった。そんな不思議スタイルの理由を尋ねてみると、

「暑いから毛を短くしたんだけど、ライオンヘッドは残したんだ」

とのこと。なるほど、ライオンのような豪快さ・・・いや、ミスドのポンデライオン(たてがみがポンテケージョでできている、ライオンのキャラクター)のような愛らしさは、言われてみればたしかに、あったほうがキュートかもしれない。

 

そんなこんなで室内へ上がらせてもらうと、ごく自然かつ無造作にスナイパーライフルが並べられていた。もちろん、モデルガンなどではない。実際に戦場で使っている実物そのものである。

「いやいや、オブジェですかこれは!?」

とツッコミたくなるようなシチュエーションだが、そういえばわたしは、いまアメリカにいるんだ・・という現実を改めて思い出した。

 

そして、日本ならば絶対にありえないこの状況に対して、少しの違和感も抱かなかった理由は、友人の職業以上に「本物の銃の恐ろしさを知らないから」であると考えた。

その証拠に、帯同する日本人の友人がスナイパーライフルやハンドガンを触っているのだが、銃口の向きなどお構いなしに、物珍しそうに持ち上げてはあちこち確認しているからだ。

 

無論、持ち主から「触ってみるといい」と言われての行為ではあるが、たとえ弾が入ってなかろうが実銃の銃口を人に向けてはならないというのが、暗黙のルールであり信頼となる。

「そんなの当たり前だ!」

と思うだろう。しかしながら、相手に銃を向けているつもりがなくても、気が付くと銃口がそちらへ向いていたり、誰かに向けているわけではなくとも、銃口が水平になっていたりするのは、それは危険な行為とみなされる。

ましてや銃身の短いハンドガンなどは、ちょっと持ち上げただけで銃口は上を向き、その延長に人や動物がいないとは限らない角度になる。それがどれほど危険で信頼を裏切る行為なのか、日本人にはピンとこないのである。

 

かくいうわたしもハンドガンを手にしたとき、その扱いやすさに驚いた。銃身が長いほうが狙いやすいのは当然だが、携帯性や敏捷性を考えると銃のサイズは小さくて軽いほうがいい。

だがその分、構えがしっかりしていなければ当てることもできないため、むやみやたらに引き金を引いたところで、周囲の物や床を破壊するだけ。

 

そんなコンパクトで手軽な銃器が、まるでオブジェのように並べてあるわけで、映画の世界でしかライフルや拳銃を見たことのない人間にとっては、その鉄の塊がどれほど危険でどれほど扱いに注意しなければならないものなのか、知るすべもない。

そして、これが日常的なアメリカにおいて、彼ら彼女らにとってはありふれた光景であり、言いようによっては「オブジェ」でもある。

 

そんな「文化の違い」を痛感しながら、わたしは硬く冷たい鉄の塊に触れつつ、柔らかく温かい猫の背中を撫でた。

競技銃には慣れているつもりだが、これは違う。色んな意味で、生きるために必要な武器なのだ。対等に戦うためのアイテムなのだ。

 

 

ふと気が付くと、わたしはいつの間にか眠っていた。そしてなにかが顔に触れたことで、わたしは目を覚ました。

目の前には巨大な毛玉が覆いかぶさっていた。——猫だ。

 

物言わぬ猫と銃。なんとも対照的で似つかわしくない組み合わせだが、それもまたアメリカなのだと妙に納得すると同時に、なんだか愉快な思いがして口元がゆるむ。

——さて、訓練開始といこう。

 

Illustrated by 希鳳

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