누룽지(ヌルンジ)

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(ヌルンジってなんだ?)

 

その店の名前は「ヌルンジ(누룽지)」だが、メニューにも同じ名前の料理が載っている。韓国料理が大好きな私だが、ヌルンジという料理がどのようなものなのか分からない。

と、メニューにヌルンジなるものの写真が載っている。――おかゆのようなものか?

 

韓国料理でお粥は有名。だがハングル語で「チュク(죽)」と呼ばれるのがお粥であり、ヌルンジとは呼ばない。

よく分からないが、とりあえずこのヌルンジという料理を注文してみた。

 

しばらくして丼にいっぱいのヌルンジが運ばれてきた。白米というよりやや茶色がかった麦飯のような米が、粒ではなくブロックでお湯につかっている。そう、これはおこげのお粥なのだ。

さらにイカの塩辛が、小さな器に盛られて添えられた。

(チュクはきれいなお粥だが、ヌルンジはおこげのお粥ってことか)

とりあえず、平らなスプーンで一口食べてみる。非常に熱い。そして、完全に無味だった。

(なんじゃこりゃ!味がついてない!)

あぁ、だからこの「イカの塩辛」をぶち込んで、味を出せということか。それならそうと、最初から米の上に乗せとけばいいのに。

 

わざわざ分けているということは、この「おこげお粥」だけを味わう人もいるということか?いや、それはない。炊きたての白米をハフハフ味わうのとは訳が違う。

そもそも、おこげを湯に浸して膨張させただけの食べ物を、うまいうまいと掻っ込む奴などいるだろうか?たとえるなら、お好み焼きの生地だけを食べるのと同じで、ソースや具材が入っているからこそ美味いのだ。生地だけをそのまま食べる必要もない。

 

無味のおこげお粥を一口食べると、速攻でイカの塩辛をぶち込んだ。それでもバランス的には圧倒的に米の量が多いため、イカの塩辛は一瞬にしてお粥の海に飲みこまれてしまった。

体の表面を赤く塗りたくっていたイカは、お粥の湯できれに洗い落とされて真っ白になった。そんなイカはもちろん味もしない。

(いったい、何のためにこんな料理を作ったんだ?)

無味のおこげお粥に苛立ちながら、テーブルに並べられたキムチを箸で掴むと、おこげお粥へボンボン投入してやった。お粥は赤く染まり、ほんの少しピリ辛なお粥に変化した。

 

 

あれから2年が経過。久しぶりにヌルンジで食事をすることになった私は、メニューを見るなり「ヌルンジ」を注文した。正直、前回の記憶は消えており、ヌルンジがどのような料理だったのかも薄っすらとしか覚えていない。

だが、なにか衝撃的な印象だったことだけは覚えているため、とにかくもう一度食べることにしたのだ。

 

しかしヌルンジだけでなく、サムギョプサルセットを注文している私は、店員のお姉さんに制止された。

「ちょっと待って。そんなに食べられるの?」

韓国人のお姉さんは、「ウチの料理の量を知らないのね」と言わんばかりの呆れ顔。いやいや、お姉さんこそ私の胃袋のデカさを知らないんだよ、と自信満々に首を縦に振る私。

「んー、じゃあサムギョプサルセットのご飯を、ヌルンジに換えてあげる。特別だからね」

大量のヌルンジを残されたら、たまったもんじゃない。セットのライスとどでかい丼のヌルンジ、どう考えても食べきれるはずがない――。お姉さんはそう思ったのだろう。まぁいい。最終的に足りなければ追加注文すればいいのだから。

 

そしていよいよ、熱々のヌルンジが運ばれてきた。セットライスの代わりということで、容器も小ぶりな金属製のボウルによそられており、戦時中の食糧配給を彷彿とさせた。

ボコボコした凹みが味のあるボウルに、並々と注がれたお湯とおこげお粥、そして小皿にイカの塩辛。なぜか私はワクワクしながらヌルンジにスプーンを入れると、グルグルかき回して冷ました。そう、私は極度の猫舌なのだ。

 

かき混ぜながら、2年前の記憶がよみがえる。

(そうだ、これは無味だからイカの塩辛を入れて混ぜるんだった)

さっそく小皿をひっくり返すと、イカの塩辛をおこげお粥の海に沈めた。――さてと、いただくとしよう。

 

久しぶりに食べるヌルンジは、どこか懐かしくて食べやすい気がした。相変わらず美味いとは思えないが、それでもクセになる何かを感じる。一口、また一口とヌルンジを食べ進める。

 

「あぁ、そうよ!そうやって食べるのよ。あなた本当に日本人?」

 

両手で口を覆いながら、あのお姉さんがやってきた。どうやら私がヌルンジを注文したことに、違和感を覚えていたようだ。

本当にあの日本人はヌルンジを食べるのだろうか?すぐにマズいと放り出すのではなかろうか?そんな疑いを持っていたのだろう。

 

「ヌルンジはね、韓国がまだ貧しかった頃、子どもたちに食べさせる料理だったのよ」

 

お姉さんは語り出した。

その昔、食糧不足に苦しむ韓国において「ご飯」は貴重な食べ物。白米を鉄製の鍋で炊き、体を動かす大人を中心にご飯を食べた。

そして、鍋の底にこびりつく焦げた米の残骸、つまり「おこげ」もおいしく食べるために、鍋に水を注ぎ再び火をつけて煮たてる。

そのままでは歯を傷めそうな硬さのおこげだが、じっくり煮ることで柔らかなお粥が出来上がる。そこへ味付けとして塩辛やキムチなどを添えて、子どもたちに食べさせたのだそう。

 

おこげのしっかりとした歯ごたえと、お粥の優しいのどごしが、当時の子どもたちにとっては嬉しい料理だったのかもしれない。

たとえどんなに貧しくても、知恵をしぼって工夫することでご馳走を作り出すことができる。そんな時代背景を見た気がした。

 

「私はいまだに、お酒をたくさん飲んだ翌朝は、ヌルンジを食べて体調を整えてるわ」

 

お姉さんは笑いながら去って行った。

 

そしてどうやら日本人は、この無味でシンプルなヌルンジを食べると、「味がない」とか「まずい」とか文句を言うのだそう。

だから私がヌルンジを注文した時、お姉さんは止めたのだ。「本当にヌルンジを食べるの?」と。

 

 

歴史や文化、宗教というものは、知らなければ恥をかくことがある。郷に入っては郷に従え。韓国料理店で韓国料理を食べるならば、いや、韓国料理について「美味い」「まずい」と評価をするならば、その料理の馴れ初めを知っておくべきだろう。

 

その昔、米を満足に食べることができなかった韓国の子どもたちにとって、このヌルンジほどのご馳走はなかった。

その事実を知ってから食べるヌルンジは、噛みしめるおこげの歯ごたえとお粥の喉ごしに、薄味だからこそ感じる懐かしさと、小さな幸せがあった。

 

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