友人が、古いお札やお守りを返納するということで、赤坂の日枝神社を訪れた。
ある程度の大きさの神社や寺院には、古札納め所なるものがあり、そこへ古いお札やお守り、破魔矢などを納めることができるのだ。
私はてっきり、授かった神社や寺院へ返納しなければならないものと思い込んでいた。そして「これはいいことを知った」と、密かにほくそ笑んだのである。
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お札やお守りの有効期限は「物事が成就した時」といわれる。受験や出産など、期限のあるものはそれらが終わった時点でいいが、もっとアバウトなお守りに関しては、およそ一年で新たなものに交換するのが一般的。
よって、恋愛成就や家内安全、金運アップなど、期限を設けるのが難しい内容のお守りは、一年をめどに返納するのがマナーということらしい。
ちなみに「お守り」というのは、渡す側にとってはちょうどいい重さである。この場合の「重さ」は重量のことではなく、価値としての重さや金額的な重さを指す。
たとえば受験生に「学業成就」のお守りを渡せば、不安の中にも一筋の光が差す。初産や高齢出産を控えた女性に「安産祈願」のお守りを渡せば、気持ちが和らぎ出産に向けて前向きになれる。
ほかにも、独立開業した友人が仕事運のお守りをもらえば益々精進するだろうし、新車を購入した人が交通安全のお守りをもらえば、慎重な運転を心がけるだろう。
このように、どんな種類のお守りを渡したとしても、もらった側は「嬉しい」という結果に至るのだ。
ましてや、特定の願い事が叶う有名な神社であったり、自分では赴くことが難しい場所であったりと、なんらかのポイントとなる付加価値があれば、なおさら感謝でいっぱいになる。
このように、お守りというのはちょうどいい具合に相手を喜ばせることのできる、素晴らしいギフトなのだ。
かくいう私は、自宅に大量の「恋愛成就」、もとい「勝守」が安置されている。
本当か嘘か分からないが、
「他の神社や寺院のお守りを一緒に持っていると、神様同士が喧嘩をするからよくない」
という説がある。しかし個人的には、神様というのは心が狭くないので、同じ目的のお守りであれば喧嘩などしないと思っているが。
なお、お守りというのは神様の分身ゆえに、ぞんざいに扱ってはならない。よく、運動部の生徒が部活のバッグにお守りを付けている姿を見かけるが、本当はあまり良くないらしい。
地面に置いたり人や物と接触したり、なにかと汚れがちなバッグに付けたお守りは、半年もすれば傷んでしまう。これではご利益を受けることができないからだ。
かといって、大切に引き出しの奥にしまっておくのも良くない。日の当たるところで、常に目につくようにしておかなければ、お守りの存在を忘れるイコール神様を大切に扱っていない、ということになる。
よって、正確には「なかなか扱いが難しい」というのが、お守りの素性なのだ。
さらには神様も大切だが、お守りをくれた友人というのも現実的に大切な存在である。そのため、できれば競技に使うバッグやポーチに忍ばせておきたい、というのが正直な気持ち。
だからといって、バッグにジャラジャラと勝守をぶら下げるのもいい年して恥ずかしい。ならばどこかに掛けて眺めよう、と思えどコンクリートでできた我が家の壁には、1ミリの穴もあけることはできない。
というわけで、「お守りを汚さないように、かつ、目につく場所へ保管するミッション」を実行した結果、「ジップロックに入れてデスクに安置する」という結論に達したのである。
・・・今さらこんなことを言っては元も子もないが、宗教偏差値の低い日本人にとって、お守りを大切にするという気持ちがあれば、そこまで扱い方にこだわる必要はないように思う。
常に身に着けておきたいと考える人が、そうすることで安心できるのならば、それはそれでご利益があるといえる。その結果、お守りが汚れてしまったとしても神様は怒ったりしないだろう。
その点、私は新品のジップロックに勝守を詰めて、フレッシュな状態を保ちつつ大切に保管してきた。一方で、ジップロックに眠るお守りたちを眺めながら、それぞれの神社へいつ出向こうかと毎日頭を悩ませていた。かれこれ10年以上・・・。
それが今日、日枝神社で返納が可能という朗報を入手したおかげで、長年の悩みが一気に吹っ飛んだのだ。
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私は感謝の気持ちを込めて、ジップロックをバッグに収めた。そして清々しい気分で日枝神社へ向かうのであった。
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