面白いことを言って相手を笑わせようとして、わざとそれができる者はプロだと思う。なぜなら、作り込んだ面白さというのは、余程のレベルでなければ逆につまらなくなるからだ。
そう考えると、「芸人」という職業が努力だけでは成立しないことがよく分かる。舞台なり大会なりの一発勝負で、「笑わせてみろよ」と臨戦態勢の観客や審査員を相手に、緊張で足を震わせながらも大爆笑を誘うのだから、素人に真似などできるはずもない。
さらに本番までの間、ネタを考え台本を作り日々何時間も練習を重ねるわけだから、最初は「このネタは面白い」と思っていても、何回も繰り返すうちに笑えなくなるだろう。
ましてや、自分がどんなに面白いと感じていても、それを聞いた相手も同じ気持ちになるかどうかは分からない。そうなると、面白いはずの自信作を披露したにもかかわらず、客席はシーンと静まり返った——なんていう、地獄のような仕打ちを受けることだって、あるのかもしれない。
要するに、一般人が他人を笑わせることができる瞬間というのは、即席の面白さ・・つまり、その場の雰囲気や話の流れ、さらには当人が持つキャラクター性などが合致した結果、瞬間的に「面白い」と思えるシチュエーションが成立した時だけなのだ。
それゆえ、素人に対して「今の表情、めちゃくちゃ面白かった!もう一度やって」というと、それはもう大変なことになる。リクエストされた当人は、「さっきよりも面白くしよう」と必死に・・いや、無駄に画策するも、相手にとって何がどう面白かったのかが分からないので、ファーストテイクを上回る面白さを提供するのは不可能。
こうして無謀なリテイクに挑戦した結果、「さっきのほうが面白かった」と、素人であるにもかかわらず「つまらない」という烙印を押されてしまうのである。
だが中には、何度やらせても鉄板で笑える"表情"を作ることのできる友人がいる。あれはどういうことなのだろう・・自宅で鏡を前に、面白い表情を作っているのだろうか。それとも、面白いであろう顔を脳内でイメージして、それを体現しているか——。
とはいえ、その表情を見て「面白い」と感じるのは、もしかするとわたしだけなのかもしれない。なぜなら、顔が面白いというより当人のキャラクターや性格・・すなわち、大人しくて真面目で実家が金持ちで、ちょっとオタク気質な部分を持ち合わせていながらも、"そんな大胆かつ意味不明な顔を作ることができるのか?!"という、驚きに似た落差が面白いのだから。
(・・ちなみに奴は、わたしの目の前で変顔をするわけではない。いつも決まってふと気づくとその顔をしているわけで、「なにやってんだよ!」というツッコみまでをセットで引き出すから、素人にしてはやり手なのである)
ということで、他人を笑わせるには相当な技術が必要なわけだが、同じ笑いでも「爆笑系の面白さ」ではなく「ウィットに富んだ面白さ」というのが存在する。
わたしの趣味であるブラジリアン柔術の道場で、とある黒帯の男性が、
「〇〇さん、今日はスパーリングできなくてすみませんでした。でも〇〇さん、僕が誘うと嫌がるからなぁ・・笑」
と、ちょっと皮肉を込めたボールを投げたところ、
「いやいや違うんですよ。俺なんかとスパーリングしたところで、××さんにとって人生で最も無駄な5分間にしかならないんで、それは申し訳ないからと遠慮してるんですよ」
と、これまた真面目な顔で見事に打ち返したのだ。それを聞いていたわたしは、ある意味純粋な気持ちで、
「〇〇さんとのスパーが最も無駄な5分なら、わたしとのスパーは××さんの人生で二番目に無駄な5分間になるよ」
と割って入った。すると××さんが間髪入れずに、
「いやぁ、僕の人生そのものが無駄なんで、皆さんとのスパーが無駄になることなんてありませんよ」
と、場外ホームランを打ったのだ。
他愛もない会話ではあるが、歯切れのいいテンポと皮肉を笑いに変えるワードチョイスが、「このヒトたちは、面白い思考回路を持っているんだろうな」と思わせてくれたのだ。そして願わくば、「どうせなら、面白い会話ができる相手と話をしたいものだ」と思うのであった。
——人生は一度きり。つまらない足の引っ張り合いや、嫌味と悪口でうんざりする毎日より、ウィットに富んだ笑いでスカッとする瞬間を楽しみたいものだ。
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