私の掌のチカラ

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(・・・・・・)

わたしは昨日、すぐにでも乙が死んでしまうようなコラムを書いた。いや、内容に嘘はないし、乙が食事を拒否するようになったのも事実。そして鼻腺癌が発覚してから8か月が経過するわけで、外鼻孔からは禍々しい腫瘍が溢れ出ており、これはいよいよ後がない——と途方に暮れるのは当然のこと。

それもで、一日でも長くこの世を生きてもらうためにも、何粒かのドッグフードをつかんだわたしは、乙の目の前に差し出した。——乙、おまえは食べなければならない。これは、無責任な飼い主からの最後の願いであり命令である。なにを差し置いてでも、少しでもいいから食べなさい・・頼むから、食べておくれ。

 

ガッガッガッ

 

(・・・・え?)

わたしの掌にぺしゃんこの鼻っ面を押し当てながら、物凄い勢いでドッグフードを貪る乙。そして一瞬にして、数粒のドッグフードは消え去った。

(そんなはずはない・・昨日もおとといも、水しか口にしていないと母は言っていた。どれほど根気強くドッグフードやササミを口元へ持って行っても、プイっとそっぽを向いてしまうと嘆いていたからこそ、忙しい合間を縫ってでもわたしは帰省したのだ。まさか「母の発言が嘘だった」なんてこともないだろうし、ではなぜ乙は今、ドッグフードを一瞬にして平らげたのか——)

 

ニンゲンの言語を話さない動物の心境など、どれほど勘ぐったところで分かるはずもない。それ故に乙の心理を知る術はないが、それでも事実としてドッグフードを食べたのだから、体調なり何なりに変化があったのだろう。

おっと、「気まぐれに食べるのを止められては困る」と焦ったわたしは、大袋へ手を突っ込むとありったけのドッグフードを鷲掴みした。そしてそのまま、乙の目の前へと差し出してみた。

 

ガッガッガッガッ

 

鼻水やらヨダレやらドッグフードの欠片やら、色々なものがわたしの掌に付着したり床へ落ちたりしているが、そんなことよりも、乙が凄まじい勢いと力強さでドッグフードにがっついていることに驚きを隠せない。

まるで鼻から突っ込んでくるダンプカーのように、グイグイ迫りくる乙の圧力はとてもじゃないが癌患者とは思えないわけで、一心不乱に喰らいつくその本能的な姿は、わたしにとある一つの確信を抱かせた。

(・・・まだ死なないな)

 

これは"喜ばしい誤算"なわけで、わたしのみならず両親も友人も皆が喜んでくれるだろう。さすがに、多くの知人・友人が乙の容態を気遣い温かい言葉をかけてくれた翌日に、まさかの「食欲復活」を果たすとは思いもしなかったが、それでも何故か分からないが乙はドッグフードを食べたのだ。

次から次へと鷲掴みのドッグフードを平らげる乙を見つめながら、とはいえこの喜びも長くは続かないであろうことを、自分自身に強く言い聞かせた。今回の"食べムラ"は、もしかすると抗がん剤の副作用かもしれないし、本当に体調不良だったのかもしれないし、実際のところは誰にも分からない。そして、なるべくならばこういったことで一喜一憂したくはないので、手放しで喜ぶことはせずに、節度ある態度を心がけようと思う。

 

それでも、やはり生命力の象徴である「貪り食う」という行為を、目の前で見ることができたのは感激である。昼夜問わずに苦しそうな呼吸をし、ヨロヨロとおぼつかない足取りの癌患者が、まさかのがっつきを見せたのだから奇跡に近い。こればかりは、神に感謝したい気持ちになったわけで——。

 

 

まだこの世を生きなければならない乙は、果たして幸せなのか苦痛なのかは分からないが、エゴの塊であるニンゲンからすると、もう少しだけ・・せめて長袖の季節になるまで・・いや、雪が降るまでは頑張ってもらいたいものだ。まぁ、あまり欲張ってもいけないが、それでも"願う"くらいは勝手にやらせてもらってもいいだろう——。

 

・・などと思いを巡らせながら、ドッグフードを3袋ポチっと注文するのであった。

 

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