我が欠陥住宅(マンション)の大規模修繕工事が始まってから二カ月が経過した。当初から建物の周囲は黒いネットで覆われており、帰宅途中に我が家を見上げると「イリュージョンでも起こすのか?」と期待してしまうほど、仰々しい外観となっていた。
そんな中、粛々と職人らの手により修繕工事が進められてきたのだが、ここへ来て驚きの変化が増えた・・というか、以前も同じ処置を施したのだろうが、結果があまりに違い過ぎるのである。
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「こんなところまで保護しないとダメなんですか?」
数週間前のこと——たまたまエレベーターで乗り合わせた作業員の男性が、かご(キャビン)内を隅から隅まできっちりと養生していたため、それについて尋ねてみた。すると彼は、
「はい、こういうところが重要なんです。皆さんのお宅のドア周辺も養生してありますが、あれがしっかりできていれば作業は必ず成功するんです」
と、意志が宿る眼をこちらへ向けながら力強く答えてくれたのだ。
(いつだったか、別の職人も「段取りで八割が決まる!」って口酸っぱく言ってたな・・)
その言葉の通り、玄関やエレベーターのドア枠を固めるコーキングが、恐ろしいほど完璧に仕上がっていた。
前回の業者はコーキング処理を失敗し未硬化となったにもかかわらず、そのまま放置したことで何年経ってもベタベタかつ見た目も無様な状態が続いていた。そのため、誤って触れてしまうと石鹸で洗っても落とせない・・など、迷惑極まりない日常を送らされていたのだ。
だが今回は、作業直後からコーキング箇所の表面にテープが貼られており、硬化するまでの数日間その状態が続いた。そしていよいよテープを剥がしてみると・・均一でツルツルの「プロの手によるコーキング処理」がお目見えしたのである。
言われてみれば当然のことだが、硬化するまでの間にゴミやホコリが付着しないとは限らないし、誤って触れないとも限らない。しかも、表面をいかに滑らかで美しく仕上げるのかを考えれば、完成までは何かで保護をしておくことがベストに決まっている。
そんな「当たり前のこと」ではあるが、今回の職人らはそれらの処理をきちんとこなしてくれたため、見違えるような美しいコーキングの枠と対面することができたのだ。
一方、共用部分の床と壁にも異変が起きていた。我がマンションはとにかく”オールコンクリート”でできており、それがむき出しになっていることが”オシャレの象徴”であるかのような、短絡的で妄信的な造りとなっている。
そのため、通路や壁もすべてむき出しのコンクリートだったわけだが、今回の修繕工事にて通路やバルコニーの床に「コンクリートカーペット」が敷かれたことで、踏んだ感触もさることながら、どことなく「暖かさ」を感じるようになったのだ。
コンクリートカーペットは高強度な樹脂でできており、水捌けも抜群で汚れも付きにくい素材と思われる。今までは・・というか昨日までは、いたるところにヒビが入ったむき出しのコンクリートを踏んづけていたわけだが、たった一日でこのような柔らかさ(実際は硬いのだが、コンクリートをダイレクトに踏むよりは柔らかさを感じる)を体験できるとは、まさに「そこまでの下準備が完璧だったから」に他ならない。
毎日少しずつ、素人目では分からない下地処理や準備を重ねた結果、あっという間にコンクリートカーペットを敷き詰めてしまったのだろう。気がつけば我が家のベランダにも、一ミリの隙間もないくらいびっしりとカーペットが敷かれていた。そして、出しっぱなしにしていたハンモックの足場も、そのままの状態で置かれてあった。
(こんなことになるなら片付けておけばよかったな・・邪魔だっただろうに)
さらに、外壁を含むコンクリートの壁がいつの間にかツルツルに保護されていた。まるでニスを塗ったかのような光沢が出ていることからも、表面にコーティング剤を塗装したのだろう。
これは、打ちっ放しのコンクリートの劣化に対する処理で、防水性や耐久性の向上および美観維持の目的で行われるもの。中性化したコンクリートは、表面のひび割れた部分から水分が浸透して雨漏りや内部の鉄骨を錆びさせるなど、建物の老朽化を助長させる恐れがある。それを防止するべく、表面に被膜を形成することでコンクリートを保護するわけだ。
それにしても、今までは壁に顔をこすりつけたら擦り傷ができるくらい粗っぽい表面だったわけだが、今はどうだ・・きめ細かなツルツル肌に豹変してしまったではないか。
(これなら、いくら顔をこすりつけても傷はできないな・・)
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これらの作業は、施工業者にとって——というか、プロの仕事としては当然の流れだと思う。それでも、少なくとも前回の業者はこれらがまるで出来ていなかったのも事実。
もしかすると、マンション管理会社が素人の詐欺集団に騙された可能性もあるが、とにかくあのコーキング処理の杜撰さは、他でも見たことがないくらいに酷かった。
それよりなにより「準備さえ完璧にできれば、作業は必ず成功する」と言い切った、若い職人の言葉が未だに脳裏から離れない。「下準備」という地味で日の当たらない作業が、いかに完成度を左右するのかを、彼は知っていた。そして、そこを怠らないことで有終の美を飾れると信じて疑わないのである。
(わたしも、目先の準備からきちんとやろう・・)
恥ずかしながら、この歳になって「人生における大事なこと」を若き職人から学んだ、二月半ばの出来事であった。




















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