久々に実家へ帰省したわたしは、玄関を開けた瞬間に大きなショックを受けた。普段ならば「ただいまー」と叫ぶと、ドタバタ飛んでくる乙(オツ)の出迎えがないのだ。
「あら、おかえりー」
「なんだ?帰って来たのか」
年の割には元気というか若々しい父と母が、適当なセリフを吐く。だが肝心の乙が来ないじゃないか——。
乙はメスのフレンチブルドッグで、今年12歳を迎える熟女というか老犬である。幼少期を港区・白金で過ごした生粋のシロガネーゼ犬は、今となっては長野の田舎暮らしのほうが長くなったカントリーガールだ。
そんな乙の飼育環境は「人間がお世話をさせていただく」という感じで、逆転の主従関係が成立しているわけだが、どこの誰が訪問しようとが決して吠えることのない乙は、全くもって番犬には不向きである。なんせ、不審者にも興味津々で懐く性質のため、だれかれ構わずわワシャワシャと撫でられたら、それだけでご機嫌になってしまうだろう。
そんな箱入り娘の乙はたまに散歩へ出かけるが、なぜか毎回、絶対に歩ききれない距離をズンズンと進むクセがある。そのため、帰りは必ずカートに載せられるのだが、なぜ無理だと分かっている距離を突き進むのか理解に苦しむ。
過去に一度、乙が踏破できそうな距離の半分の地点で引き返そうとしたところ、断固としてその場を動かなかったことがある。そしてリードを緩めると、スタスタと先へ進もうとするのだ。
(なんだなんだ、今日は張り切って歩くつもりか?)
そんな期待も虚しく、案の定、いつも通りのゴール地点(?)で乙は地蔵になった。こうなると、なにをどうしても微動だにしない。水をやろうがおやつをチラつかせようが、全く無視するのだから不思議である。
(クソッ・・今日に限ってカートは持ってきてない)
犬用カートを押しながらの散歩など、年寄りの専売特許である。よって、「そんなダサイ散歩はご免だ!」とばかりに、わたしは水とウンチ袋のみの軽装で出掛けのだ。その結果、2kmを超える灼熱の田舎道を10kgの肉塊を抱えて帰宅するという、意味不明なトレーニングを強要させられたのだ。
それ以来、「親の言うことは素直に聞くべきだ」と猛省したわたしは、乙の散歩にはカートを持参することにしたのである。
・・というようにマイペースの極みである乙だが、それでもわたしが帰省するといつでもすぐに飛んできた。それが今日、生まれて初めて顔を見せなかったのだ。
よくよく考えれば乙もいい年だ。もうヨボヨボなのだろう——。
そんな寂しさを覚えながらも、わたしは乙がいるであろうケージに向かって歩いた。そして少し離れたところからケージを覗くと、そこに乙の姿は見当たらなかった。その代わりに、真ん中がまぁるく膨らんだ毛布が目に入った。
(乙はあそこで寝ているのか。わたしの声や足音がしても、もう出てくることもできないくらいに弱ってしまったのか——)
思わず涙が込み上げた。いつも母から送られてくる乙の画像や動画からは、ここまで弱り切った姿は見て取れなかった。だがもしかすると、母も気を使って元気な乙だけを送ってくれていたのかもしれない。遠くで暮らすわたしに、心配させまいと。
しかし、犬も人間もいつかはこの世を去るものだ。こうして悲しんでばかりはいられない。乙の飼い主としてしっかりと見届けてやらねば——。
そう覚悟を決めたわたしは、乙が眠る寝床へとそっと近寄った。こぼれ落ちる涙もそのままに、年老いた不憫な犬の姿をこの目に焼き付けておこうと、そっと毛布を持ち上げた途端・・・明らかにびっくり仰天のテンパった表情で、両目を真っ赤に充血させた乙が、ガバッと起き上がるとケージの外へと飛び出したのだ。
(?!?!?!)
予想していた状態とはまるで違う姿の乙に、わたしは一瞬、己の目を疑った。——だって、ヨボヨボで歩けなかったんじゃないの?
その後、わたしの手に齧りついたり腹を見せてひっくり返ったりと、いつも通りの乙がいた。まるでキツネにつままれたかのような状況なのだが・・・。
「夕方、テレビの修理で犬好きのお兄さんが来たのよ。それで乙と散々遊んでくれたから、疲れて寝てたんだと思う」
・・・・。
とはいえ、乙も親も高齢であることに変わりはない。今起きている一瞬の出来事すらも、しっかりと焼き付けておこう。
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