先日、若くしてこの世を去った友人の葬儀に参列した。当日は、友人の他にも同じ時間帯に十人ほどの葬儀が行われており、葬儀場内は大勢の参列者で溢れかえっていた。
しかし、われわれのエリアの人口密度が最も高く、それは故人の人柄に加えて年齢の若さも影響しているように思えた。人の死について"惜しい惜しくない"の表現は語弊があるかもしれないが、バリバリのキャリアウーマンとして活躍し、また4児の母としても奮闘していた彼女を失うのは、身内にとっても社会にとっても残念でならない。
そんな思いを反映するかのように、老若男女問わず大勢の関係者が友人との最期の別れを惜しんでいた。
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少し前に、抗がん剤治療の影響で髪の毛が抜けてしまった友人のために、わたしはとある人物とアイテムを紹介した。
とある人物とは、自身も遺伝性の乳がんの治療により頭髪が薄くなる経験をした、野中美紀さんだ。野中さんは、「病により髪を失った際に、その辛さや不安を少しでも軽減してあげたい」「(同様の病と闘う)子どもや仲間たちの未来に、ウィッグの存在が当たり前であってほしい」という願いと覚悟から、これまでにない特別なウィッグを作り上げた。その名もSUMIKIL(スミキル)。
SUMIKIL(スミキル)の語源は、野中さんが退院の際に訪れた湘南の海の済んだ美しさ、そして生きていることを実感できる澄み切った心を胸に、ウィッグを普段着のように"着る"ことができたら・・という発想から名付けられたもの。そこには、医療用ウィッグというものをアピアランスケアの道具として位置付けるのではなく、一人の女性として自分らしく生きるための"相棒"であってほしいと願う、彼女の想いが現れていた。
そして、SUMIKIL(スミキル)最大の特徴は、ヘアスタイルのプロである美容師によるカットが受けられることだ。人毛100%であるとか、大手専門店よりもかなりローコストで購入できるとか、そういった部分も評価できるが、それよりなにより「全国の提携美容室にて、プロの手でウィッグをカットしてもらえる」というのが、既存の概念にはない新たなアイデア。
ちなみに、野中さんいわく「ウィッグをカットすることに抵抗のある美容師が、実際には多いように感じる」とのこと。人毛とはいえ頭皮から生えている毛髪ではないため、自然になじませることが難しいのかもしれない。
とはいえ、わたしの友人たる美容師たちは、全員が口を揃えて「当然、ウィッグのカットだってできるよ」と断言した。そこでSUMIKIL(スミキル)の存在とコンセプトを伝え、さっそく協力を仰ぐことにしたのである。
よく「女性にとって髪は特別」と言われるが、殊にオシャレ好きな女性にとって、髪の毛が薄くなったり抜け落ちてしまったりすることは、アイデンティティを失ったかのような絶望と喪失感を意味する。
このような外見の変化が原因で、鏡を見るのが辛くなったり他人と会うことを拒んだりと、自分の殻に閉じこもってしまうような人生を歩まない・・いや、歩ませないためにも、野中さんは"ファッションアイテムに近い感覚"で使える医療用ウィッグを生み出したわけだ。
——話は戻るが、冒頭の友人は昔からオシャレで素敵な女性だったことからも、まさにうってつけのアイテムだ・・ということで、彼女へSUMIKIL(スミキル)を紹介したのであった。
過去にも何度か髪の毛が抜ける経験をしてきた友人は、その度にバンダナを巻くなどして外出していたのだそう。だがこれからは、安心して笑顔で過ごすことができるだろう——。
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結局、SUMIKIL(スミキル)を着た友人と会うことは叶わなかったが、カットを担当してくれた美容師いわく「めっちゃ似合ってました」とのこと。本人もとても喜んでいたようで、僅かな期間だったかもしれないが、きっと昔のようにオシャレで生き生きとした友人に戻ったに違いない。
"たかが髪の毛"と言われればそれまでだが、アピアランスケアの重要さは当事者本人にしか分からない辛さや不安であることを、他人であるわれわれは理解しなければならない。
さらに、これは女性に限った話ではなく男性だって同じだろう。どんな理由であれ、自分が自分らしく過ごせるように、見た目のコンプレックスを改善することは人生の改善にもつながるわけで、薄毛や抜け毛に悩むすべての人がSUMIKIL(スミキル)を体験できたらと思う。なぜなら、自分らしさ・・というのは他人がつくるものではなく、自分自身で選び、自分自身が貫くものなのだから——。
天国へと旅立った友人が、この世のラストを笑顔で過ごせたと信じたい。
R・I・P
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