(予言というのは、外れるためにあるのか)
有名なところでは、ノストラダムスによる「1999年7月、恐怖の大王が空から降ってくる」や、マヤ暦による「2012年12月21日でマヤ文明の暦が終わるため、この日に世界が終わる」という予言があったが、いずれも”ハズレ”に終わった。
そして、現代版の予言として「2025年7月(5日)に、東日本大震災の3倍規模の津波が発生し、日本が地図から消える」という説が、SNSを中心にまことしやかに広がった。
だが実際のところ、この予言の発信元である漫画家のたつき諒さんは、7月5日という日付を断定しておらず、改訂版の「私が見た未来」にて編集サイドのミス(?)で日付まで載ってしまった模様。
しかも、この漫画はタイトルにあるように、たつき諒さんが見た夢の数々を描いたものであり、本人ですら自身を予言者などとは語っていない。では、なぜここまで有名な話になったのかというと、東日本大震災の日付と著者が夢で見た数字が一致したことがきっかけとなり、「今回も大災害が起きるのでは」と、都市伝説界隈が盛り上がったことで再燃した・・というわけだ。
それでも、不安に満ちた空虚な現代を生きる者にとって、この手の話は鼻で笑い飛ばせるほど他人事ではないのだろう。アジア方面の航空会社や旅行代理店では、7月5日周辺のフライトやツアーのキャンセルが続出するなど、現に影響があったというから大変だ。
まぁいずれにせよ、仮に大災害が事実だったとしても、日本列島が地図から消えるほどの規模で起きるのであれば、そこにいるわれわれに未来はない。つまり、どうあがいても助かる見込みはないのだから、だったらどーんと構えて最期の瞬間を噛みしめようじゃないか——。
そう考えたわたしは、社労士にとって年に一度の大仕事である「労働保険料の年度更新と社会保険の算定基礎届の申請」を、日本が滅びるかもしれない7月5日まで保留にした。
とはいえ、これらの申請期限は7月10日なので、7月5日に申請したところで問題はない。さすがに「予言を信じて仕事をしませんでした」では、信義則に反するし債務不履行で訴訟問題に発展しかねないが、タイムリミットまで余裕があるならば、念のため大災害の可能性を考慮してもいいだろう・・と考えたのである。
そして7月5日当日——わたしが住む東京は晴天に恵まれ、近所で行われている解体工事の騒音が平穏な日常生活を裏付けるかのように心地よく響いていた。
(・・まずい、すぐさま申請作業に取り掛からなければ)
*
こうして、ある意味平和な日常が続くのであった。しかしながら、今すぐに災害が起きなかったからといって、この先も未来永劫安心できるわけではない。殊に地震大国である日本は、南海トラフ地震を筆頭に、いつ大地震が起きてもおかしくない
太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートの4つのプレートの境界にまたがる日本列島は、プレート同士の衝突や沈み込みが頻発するため、地震エネルギーが溜まりやすいとされている。さらに、活断層の数が二千以上ともいわれる”ひび割れ構造”の地質が、直下型地震を引き起こす可能性を高めており、地表近くでの強い揺れにより局所的に甚大な被害を及ぼす恐れがある。
これらに加えて、海に囲まれた日本は地震とセットで津波や山崩れといった二次災害の影響を無視できない——要するに、自然の力に抗うことなど到底無理な話であり、現実的に大災害が発生したならば、悪あがきをするよりも悟りを開いたほうが、穏やかな最期を迎えられるに違いないのである。
このようなリスクと隣り合わせの状況で生きるわれわれは、仕事に対する取り組み方・・というかモチベーションも、海外とは異なる次元で考えなければならない。
(うぅむ・・日本で仕事をするということは、自然災害のリスクを常に考慮しつつ、ギリギリまで先延ばしする必要があるということか)
——いや、それは違うだろう。
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