「それ、ウチの旦那と同じこと言ってる」
友人は、口を尖らせながら不満げにそう答えた。なんの話かというと、いわゆるバーモントカレーのような「日本特有のカレー」において、カレールーにとろみがあって、むしろボタボタと落ちるくらいの”固形に近い状態”がわたしの好みであるのに対して、友人は”スープカレーのようなサラサラしたテクスチャが好み”とのこと。そして、彼女の夫は「とろみのあるカレールーが好み」なので、彼女が作るカレーに苦言を呈するのだそう。
(あ、それめちゃくちゃわかるかも・・)
口には出さないが、彼女の夫に強く同意するわたし。もしもそれが外食ならば、インドやタイ料理店でシャバシャバのカレーを喜んで食べるが、手作りカレーとなるととろみは必須。とくに日本特有のカレーというのは、ルーに小麦粉が入っているため、それだけでも腹が膨れる作りとなっている。だからこそ、一つの食べ物として確固たるテクスチャが必要なのだ。
無論、スープカレーのような液体に近い状態もアリだが、どうせならばルーの存在感を堪能できるほうが満足度は高い。よって、家庭料理ならばとろみ・・いや、ドロドロを通り越した固体感を期待したいのである。
「あと、芋の煮っころがしや大根とひじきの煮物をつくっても、なぜか食べなんだよね」
その発言を聞いたわたしは、心の中で大声で叫んだ——わかる!!めちゃくちゃわかる!!と。
決してそれらの料理が嫌いなわけではないが、自宅の食卓に並べられるとなぜか食欲がそがれるのだ。さらに、これは実家あるあるだが、煮物や和え物といった”茶色い料理”に興味を示さないわたしは、白米と果物のみで食事を終わらせることがしょっちゅうあった。場合によっては、レトルトのハンバーグを勝手にレンチンして・・と、当時の様子を思い出していたところ、
「でね、(煮物を)食べない旦那に、『冷蔵庫にレトルトのハンバーグあるよ』って言ったら、そっちは食べるんだよ!おかしくない?」
と、まったく同じシチュエーションが再現されていたことに驚いた。あぁ、わたしはその人(旦那)と同じ味覚を持っているんだ——。
食の好みは人それぞれであり、さらにその日の体調や状況によって食べたいものは変わる。だが、根本的な好みは変わらないため、殊に色彩やテクスチャに関してはこだわりが優先されるのだ。
ちなみにわたしは、どちらかというとビビッドでカラフルな食べ物に惹かれる傾向にある。さらに、咀嚼感というか嚙み応えを求めるため、たとえ生クリームだとしても、トロトロではなく何度か噛んでから飲み込める固さ(?)が好み。
(そういえば、フルーチェが固まらなくて号泣したことがあったな・・)
その昔・・といっても、立派なオトナになってからだが、フルーチェが大好きなわたしは「フルーチェ史上最高のテクスチャ」を生み出すべく、スーパーをはしごしたことがある。なにを求めて放浪したのかというと、”最高の牛乳”を手に入れるため——。
(フルーチェの素をいじることはできない。ならば牛乳をどうにかすることで、より固形物に近いフルーチェを作り上げることができるのではなかろうか)
そう考えたわたしは、より濃厚な牛乳を求めて港区内のスーパーを駆けずり回った。その結果、見事な数字(乳脂肪分)が記載された一本にたどり着き、喜び勇んで帰宅したわけだが・・。
とにかく、フルーチェに必要なのは嚙み応え、言い換えれば「弾力性」なのだ。よって、揺さぶったらプルプルする程度では話にならない。ブルンブルンと逞しい弾力を主張できなければ、最高のフルーチェを名乗ることは許されないのである。
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そんなわけで、単なる味の問題ではない部分に食の好みが出る・・ということを、友人夫婦のやり取りから改めて知るのであった。
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