突然だが、待ちに待った悲願達成を謹んでここに報告しよう。
なんと今日一日、わたしは砂糖・・すなわち甘いものを口にしていない。この二週間、いい加減にウンザリするほど「明日から砂糖を断つ!」と言っては、なんだかんだ言い訳をして決意を反故にしてきたわけだが、ついに今日、鋼の意志を証明することができたのだ。
思い返せばそれはそれは長い二週間だった。不思議なくらい嬉しい・・いや、不運な偶然が続いたせいで、決意を反故にせざるを得ない状況に追い込まれたのは事実。なぜなら、会う人会う人なぜかわたしに甘いものをくれるのだから、それを断ることなどできるはずもない。
そんな地獄のような幸せな日々が、わたしをオオカミ少年へと追い込んでいった。だが、今さらかもしれないが、わたしは日々「明日から砂糖を断つ!」と本気で誓っていた・・ということは信じてもらいたい。なぜなら、できないことを口にするなど愚かにもほどがあるわけで、その都度本気で決意を示していたのは誠心誠意事実である。
しかしながら、友人らの優しい気持ちや店に並ぶ美味そうな菓子は、場合によっては一期一会の可能性があるため、それを断るまたは無視をするというのは、ヒトとしてどうかと思うのだ。だったら、「自身の健康被害や見た目の改善などは後回しにして、彼ら彼女らの温かい気持ちを優先するべきだ」と考えたわたしは、己の強い意志を裏切ってまで甘いものに手を出す・・という苦肉の暴挙に出たのである。
ところが、そんな甘ったれた日々を繰り返すうちに、ふと自分で自分を信じられなくなってきた。わたしななぜ、毎日同じ誓いを立てては反故にしているのだろう——と。
どんな理由や事情があるにせよ、一度決めたことは何がなんでもやり通すのが”わたし流”のはず。それなのに、甘いものだけはなぜか奇妙な力で吸い寄せられるかのように、偶然が偶然を生んでわたしの傍から離れようとしないのだ。
砂糖は別名「悪魔の白い粉」と呼ばれている。ほかにも、コカインやヘロイン、メタンフェタミンなどもそう呼ばれているが、結局のところ、同じくらい常習性がある「ヤバい粉」という点で一致する。
さらに、日常生活に欠かせない”小麦粉”も悪魔の白い粉として台頭しているが、砂糖も小麦粉も違法薬物と比べると即効性に欠ける点が大きな違いといえる。だからこそ、恐ろしいのだ。人々は知らず知らずのうちに砂糖と小麦粉に依存するようになり、気づけば四六時中甘いもの・・菓子パンやクッキー、ケーキなどを口へ運んでいるわけで、それはもうタチの悪い薬物並みに我々の健康を脅かしているのだから——。
そんな現実というか、近い将来の健康被害を危惧したわたしは、果物以外の甘いもの断つと決めた。無論、この先ずっとではないが、少なくとも一か月くらいは意図的に砂糖を摂取しない生活を送ろうと考えていた。もしかすると、それを機に甘いものなど不要になるかもしれないし、そうなれば糖尿病のリスクも軽減できるじゃないか!
何はともあれ、健康な体を維持することが人間にとって一番の贅沢であり幸せである。殊にインスリンは、一生のうちに作られる量が決まっているため、枯渇させてしまったら命にかかわる重篤な事態となる。よって、この貴重なホルモンを無駄遣いしないためにも、バカみたいに甘いものを貪る癖を直そうと決めたのだ。
一度きりの人生、糖尿病などで薬やインスリンが手放せない老後などまっぴらごめんである。そのためならば、白い粉の悪魔を祓うことなど造作もない。とにかく金輪際、甘いものは一切口にしないと誓おう!!
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こうして今日、崇高な理念に基づいた「砂糖断ち」の初日を迎えたわけだが、その代償としてわたしは大量の調理パンと総菜、弁当、果物を買い込んだ。
お気に入りのパン店では、甘いパンを鬼の形相で睨みながら調理パンをせっせとトングでつまみ上げ、帰宅途中で立ち寄ったスーパーでは、値引きシールが貼られた総菜と弁当を片っ端からカゴへ入れ、仕上げにスイカとキウイを手に取るとレジへと向かったのだ。
(よしよし、見事に甘いものを無視したぞ・・)
だが、喜び勇んで帰宅の途に就くわたしは、その時はまだ「とある事実」に気づいていなかった。
それは、いくら甘いものを避けたとしても、炭水化物を大量に取り込めば体内で糖に変わるのだから、結果的に糖尿病になる・・という事実だった。さらに、脂質はインスリンの効きを悪くするため、脂っこい料理も糖尿病への架け橋となる。つまり、ケーキやドーナツを我慢したところで、総菜や弁当を大食いしたのではリスクヘッジにはならないのである。
(あれもダメこれもダメ。食べたいものすら食べられずに、いったい何が楽しくて生きてるんだろうか)
・・さて、砂糖を断った初日にして残酷な現実を突きつけられたわたしは、明日からどのような食生活を選ぶのだろうか。
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