獣医療界の小さくも大きな一歩

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フレンチブルドッグの乙がこの世を去って一年と二カ月が過ぎた。思い返せば、鼻腔内にできた悪性腫瘍(鼻腔腺癌)により、鼻呼吸がままならない状態で9カ月以上生き抜いた生命力には、ただただ驚かされたものである。

そんな乙の鼻腔腺癌が発覚してからは、実家の近くにある動物病院の先生や犬トモの皆さんに支えられる生活が続いたが、”乙サポーター”の一人に、横浜で動物病院を開業する獣医師の存在があった。

 

ブルーム動物病院の院長である片山先生は、FIP(猫伝染性腹膜炎)の治療において日本で最も力を入れている獣医師の一人だ。もちろん、猫のみならず他の動物も診察・治療をするが、彼のどこが他の獣医師と違うかというと——「なんとしても治す!」という熱意だろうか。

 

SNSでやり取りがあった片山先生に、乙の鼻呼吸が困難となっている実情を相談したところ、考えられる症状と必要な検査および治療についてアドバイスをくれた。とはいえ、それを現在の主治医に伝えるのはおこがましいし、個々の獣医師なりに考えや治療方針もあるだろうから、素人が口出しするのは憚られる。よって、主治医のやり方に委ねる形で検査と治療が始まった。

そんな折、腫瘍の生検結果と鼻腔内を撮影した画像を片山先生に共有したところ、「遠方なので言いづらいが、乙ちゃんを診させてもらえませんか。僕ならば、鼻腔内の腫瘍をすべて取り除けると思います」という、心強い打診を受けたのだ。

 

長野から横浜までは正直遠い。しかも、瀕死状態(に見える)の乙を新幹線や電車をつかって運ぶのは困難。よって、車を使って往復しなければならないが、車両の用意や運転、はたまた仕事との兼ね合いなどを考えると、わたし一人ではなかなか難しい挑戦でもある。だが、乙が助かるなら——。

そんな一縷の望みに賭けて、わたしは乙を連れて片山先生の元を訪れたのであった。

 

鼻腔内へ内視鏡を入れて、先端に付いた鉗子で腫瘍を切除する(掻き出す)ことで、癌自体を取り除ける可能師がある。だが、それよりなにより鼻呼吸しかできない乙が少しでもラクになるならば、それだけでも十分——そんな淡い期待を胸に、手術が無事に終わることを祈った。

 

手術の翌日、片山先生の顔を見た瞬間に、わたしは「腫瘍をすべて取り除くことができなかったんだ」という事実を察した。それほどまでに、先生の顔からは悔しさというか絶望というか、言葉にできない苦い感情が滲んでいたからだ。

乙の鼻腔内にできた腫瘍は、思いのほか硬かったのだそう。そのため、腫瘍を突破できる強度のカテーテルでは、血管などを傷つける恐れがあるので使用できない。ならばと、それよりも細いカテーテルを入れたところ、腫瘍に弾かれてしまいその先へ進めることができない——。

このような状況下ではあったが、できる限りの腫瘍の除去と処置を施した・・という結果報告に加えて、「僕ならばもっとやれると言ったのに、できなくて本当に申し訳ないです」と頭を下げる片山先生を見て、わたしは目頭が熱くなるのと同時に心の底から感謝した。

 

(この人でダメなら仕方がない。これ以上、乙のために何かをしてくれる人はいないだろう)

 

 

そんな片山先生の動物病院で、新たに「細い電極」なるものを入手した・・という投稿を目にした。以下、片山先生のInstagramよりコピペ。

電気化学治療の先端の電極は犬の鼻腔内腫瘍用はあったのですが、中型犬サイズ用で小型犬や猫の鼻には入れることができませんでした。しかし、今回細い鼻用の電極がでたため、猫や小型犬の鼻腔内腫瘍、あるいは小型犬の尿道内腫瘍にも使える様になりました。
この鉛筆の様なものを鼻や尿道内に入れて、腫瘍に突き刺す様な形で挿入して、電気を送ります。するとしばらくの間、腫瘍細胞にもともとある小さな無数の穴が広がります。その間に抗がん剤を入れることで、本来抗がん剤が入りにくい腫瘍にも抗がん剤が入り込み壊死が起こるというものです。
まだかなり最新の治療で、この電極も先日出たばかりでいち早く入手しました。
もし猫ちゃんや小型犬の子で、鼻腔内や尿道内腫瘍でお困りの方は当院ホームページをご覧いただき、お問い合わせください。

もしも乙がこの治療を受けることができたなら、あるいは今もまだこの世にいたのかもしれない。もっと言うと、人間ならば簡単にできるであろう処置が動物では叶わない・・というのが、現在の獣医療業界が置かれた状況なのだ。

 

医療業界の者からすれば、この投稿の内容など「え?今さらそんなレベルなの?」と驚き呆れられるものかもしれない。だが、解剖学をはじめ獣医学の分野は人間の医学からするとかなりの遅れをとっているのも事実——そりゃそうだ、人間は一種類(男女で分ければ二種類)だが、動物はとてつもない数の種類が存在するわけで、解剖一つとっても追いつかないのは当然のこと。

さらに、動物の解剖や研究に予算がつくかどうか、またスポンサー企業が獣医療の分野へ資金を投入するかどうかなど、カネとビジネスという生臭い現実も無視できない。

 

それでも、与えられた条件で最大限の効果を発揮するべく、獣医師たちは奮闘しているのだ。

よって、片山先生が抱える「もっとやれるのに」という気持ちも、現在における獣医学の進歩のスピードではなかなか追いつけないだろう。それでも、乙と同じ病気で苦しむペットたちが助かる可能性が出てきたのだから、こんな嬉しいニュースはない。

 

 

昔と違い、ペットも「家族」と認識されるようになった今、われわれ人間の医学のみならず、獣医学のさらなる進歩と発展を願いたい・・と、片山先生の投稿を見ながらしみじみと思うのであった。

 

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