本質的な美しさが垣間見える写真という紙きれ

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写真は、その人の本質を写し出したりする。

何気なく撮った一枚に、その人の人生が垣間見えたりする。

 

奇しくも、2人の近しい人物の写真(画像)を、まじまじと見る機会があった。

2人とも素敵な表情をしているのだが、私の目が留まったのはそこではなかった。

 

 

 

一人は、柔術の友人。

なんてことはない、普段どおりの素敵な笑顔の画像。

 

しかし、そのしなやかな指には道着の摩擦でできたタコがあった。

膝にもアザが見える。

 

もちろん、私も同じように指は黒ずみ節くれだっている。

全身のアザが消えることもない。

 

それでも、スラリと美しい彼女の手足にできた「痕跡」を見ると、どれだけ柔術に時間と愛を注いできたのかがわかる。

 

試合に勝てない・・と嘆く彼女を、励ましたり、茶化したり、何気ない日常の言動が思い返される。

 

育児をこなしつつ、仕事の合間を縫って練習に参加し、出産による一時離脱があったにせよ、13年もの長い年月を柔術に捧げてきた。

その積み重ねこそが、両手の第一・第二関節にできた、黒ずみでありタコなのだ。

 

それを見て、もし「女性らしくない」などと言う人間がいたら、私が殺す。

 

指に柔術ダコができるには、かなりの長い期間練習を重ねる必要がある。

だからこそ、帯の色など聞かなくても、その人の手をみればわかる。

どれだけの練習をしてきたのか、どれほど長く柔術を続けてきたのか。

 

イヤになるほどコツコツと、ずっとずっと練習を続けられる能力こそ、真のポテンシャルだ。

そして、柔術で作った傷ほど美しい勲章はない。

 

彼女が過ごしてきた人生、人柄、犠牲にしてきたものが、すべて、写真に表れている。

 

ーーこんなにも芯の強い、美しい女性だからこそ、彼女の未来を応援したい。

 

 

 

 

もう一人は、編集長。

 

彼は常に「忙しくないときなどナイ!」と、豪語している。

が、私は半分ウソだと思っていた。

 

よくいる「忙しい」が口癖の、そう言っとけばバランスが保たれると思っている輩の仲間、くらいにしか思っていなかった(失礼な)。

もしくは、鬱陶しい私を追い払うための口実か。

 

いずれにせよ、私の周りには激務をこなす士業者が多いため、彼らにくらべて編集長のほうが忙しいわけがない、と編集という業務を軽んじていたのかもしれない。

 

 

とあるきっかけで、編集長の手首あたりまで写った画像を見た。

画像のメインはもちろん、そこ(手首)ではないのだが、私の目は真っ先に、尺骨の先端に釘付けになった。

 

えげつないほどガッツリとできたマウスダコ――

 

全身鳥肌が立った。

 

リストレスト(手首を保護するパッド)を使っているかどうかは知らないが、これも相当な長時間、パソコンに向かわない限りできないタコだ。

 

日ごろから編集長には、私のくだらない話に付き合ってもらうことがある、もちろん文字のやりとりで。

その返信の時間も含めて、どれだけ長い時間、キーボードを打ち続けていたのだろう。

 

あのマウスダコができるには、一日でもかなりの時間、年数もかなりの年数が必要なはず。

 

ーー編集長は忙しいフリをしてるに違いない、などと冗談でも思ったことを、恥じた。

 

 

 

 

人がすべてをさらけ出している、ということは、まずない。

 

誰だって写真に写るときは素敵に写りたいわけで、コンプレックスや見苦しい部分は隠したいと思う。

 

それでも写真には、その人の本質が写ることがある。

 

どんな画像加工より美しい、その人の本質が、写っている。

 

 

 

—————-キリトリ線—————-

 

Illustrated by 希鳳

 

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