「痛み」に対するニュータイプの見解

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わたしは痛みに強いほうだが、その理由の一つとして「心地よい痛み」を知っているからではないか・・と考察する。たとえば今、西宇和から送られてきたみかんを食べているのだが、舌の左側が切れているためみかんの汁が沁みる。だが、ガッツリ切れているわけではなくちょっと痛む程度なので、むしろ「生きてる証」を感じているのだ。

みかんは美味い。噛み締めるたびに果汁が溢れ出て、口の中をフレッシュな洪水が襲う。それと同時に、傷口を刺すような痛みが走ったかと思えば、しばらくジンジンと残る「小さな仕打ち」が訪れる——。飴と鞭ではないが、新鮮な果実を口にするという贅沢を満喫するならば、多少の痛みを伴うほうが臨場感が湧くというかリアルを感じるものなのだ。

そんなわけで、痛いといえば痛いのだが、これは「悪くない痛み」であり、必要悪ならぬ"必要痛"というカテゴリーに分類されるのである。

 

舌が沁みる痛みとは異なるが、注射針を刺すとかレーザーを照射するとか、はたまたアートメイクやタトゥーの施術で皮膚に傷をつけて色素を注入するとか、そういった行為に対して麻酔を使用する場合がある。無論、わたしは麻酔などせずにダイレクトに切り刻んでもらう派だが、多くの患者(施術を受ける者)はこういった場合に表面麻酔を希望する。

表面麻酔とは、皮膚の表面を麻痺させることで、塗布した部分のみに効果がある麻酔の方法。針を刺す瞬間のチクッとする痛みやレーザーの刺激を和らげることで、不安を感じることなく治療(施術)を受けられるのが特徴。身近なところでは、「歯の治療の際に、麻酔注射を打つ前に歯茎へ表面麻酔を塗布してから行う」という例が挙げられるが、あれはまぁやるべきだろう。歯茎が敏感だからかなのか、注射針がやたらと太く感じるわけで、表面麻酔である程度麻痺させてからのほうが恐怖を感じずに済む。

 

とはいえ、患者(施術を受ける者)側にも、常識の範疇における「当然の覚悟」は必要だ。なんせ、針にせよレーザーにせよ、皮膚に傷をつけるのだから痛くないはずがないわけで、治療でも施術でも何らかの目的があって皮膚に刺激を与えるのだから、むしろ痛くて当然。

殊に美容系の施術——たとえばシミ取りやボトックス注射などは、自身が美しくあるために行う施術なのだから、痛みがあるほうが自然といえる。無痛で美しくなれるなど、都合がよすぎるしありがたみがない。多少の痛みや困難を乗り越えてこそ、真の美を手に入れられる・・と思うほうが健全ではなかろうか。

だからこそ、「当然に痛みを伴う行為」ということを真摯に受け止めつつ、治療なり施術なりに取り組むべき。それを、自分に都合のいい解釈で「表面麻酔を塗ったのだから、まったく痛くないはずだ」などと、どのツラ下げて言えるのか。

 

繰り返しになるが、皮膚に傷をつける・・ということは原則として痛みが発生する。そして、少しでもその痛みを和らげるべく、表面麻酔を塗布することで不安や恐怖を軽減できる。これはそれ以上でも以下でもなく、皮膚表面を麻痺させることで表皮における痛みを鈍らせるのが目的であり、結果として、すべての痛みを排除できるものではない。

なにが言いたいのかというと、この"痛みの常識"を理解した上で痛みと向き合うべき・・ということだ。そうすれば「痛かった」などという感想が起こるはずもなく、むしろ、痛いのが当たり前なのだから「なんてことなかった」となるわけで。

 

 

痛みに耐性のあるわたしは、怪我でもなんでもやたらと痛がる者を哀れに思う。骨が折れた、爪が剥がれた、皮膚が裂けた・・そりゃ痛いに決まってる。なぜなら、炎症や刺激により侵害受容器が反応し、痛みとして信号を送るのが当然の仕組みだからだ。むしろ痛みを感じなければ異常なわけで、正常であることに感謝と安堵を示さなければならない。

とどのつまりは、「痛いのは悪いことではない」という見解になる。物理的な傷でも精神的なダメージでも、痛みを感じるのが正しい反応なのだから、「あぁ、わたしは健全なんだ。痛くてよかった」と思うべき。そうすれば、痛みすらをも愛おしく思えるはず。

 

——こうやって、痛みに強いニュータイプが誕生するのである。

 

Illustrated by 希鳳

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