懸垂マシンのセカンドキャリア

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アレはたしか、懸垂ができない非力なわたしのために友人がプレゼントしてくれたものだった。そして、何回か"懸垂っぽい動作"に挑戦してみたが、いかんせん体が重すぎて持ち上がらなかった——。

なぜこのような苦行を強いられるのか理解できないわたしは、「こんなキツイこと、二度とやるもんか!」と強く心に誓い、もらい物の懸垂マシンはそれ以降、わが家のオブジェと化していたのである。

 

極力、自宅に物を置きたくないわたしは、「あまり使わない」と判断したものはサッサと捨てるようにしているのだが、懸垂マシンはほぼ骨組みのみで出来ているため、邪魔というほど邪魔ではなかった。

幅も高さも奥行きもあるが、それらはすべてスチール製の棒でできており、その点では空間を阻害しているとはいえない。とはいえちょっと目障りではあるが、そこにニンゲンが立っているとを思えば、懸垂マシンのほうが断然気にならないわけで。

そんなことからも、せっかくのもらい物である"ちょっと邪魔なオブジェ"を、なんとなく捨てられずに放置していたのだ。

 

 

「これって"懸垂マシンあるある"だとは聞いていたけど、まさか本当にこうなっているとは・・」

わが家のオブジェこと懸垂マシンを眺めながら、友人が呟いた。日頃から見慣れているわたしにはピンとこない発言だったが、言われてみればその通りかもしれない。

なぜなら、懸垂マシンには7着のジャケットが掛けられていたのだ。

 

狭い部屋ゆえに、懸垂マシンのような無駄に場所を占有する器具は置き場に困る。そのため、部屋の出入り口に無理やり設置したわけだが、冬になってから事態は一変した。

冬用のジャケットやコートをクリーニングへ出しっぱなしだったことを思い出したわたしは、12月に入ってからいそいそと回収に向かった。近所のクリーニング店には申し訳ないが、冬物はかさばるゆえに自宅保管が難しい。ところが毎年、春先にクリーニングへ出したまま冬まで預けっぱなし・・という便利なルーティンが出来上がっているため、冬物の衣服は冬の間しかわが家に存在しないのだ。

そして、今月に入ってさすがに厚手の上着が必要となったわたしは、クリーニング店から回収してきたジャケットたちを懸垂マシンにぶら下げたのである。なんせ、ちょうどいい高さにちょうどいい引っ掛け棒がついているのだから、この立体ハンガーにジャケットをぶら下げずに、何をぶら下げるというのか。

 

さらに友人は呟いた。

「なるほどね、出掛ける際にここで上着を選んでから出ていくわけね」

どうやらわたしが、あえて部屋の出入り口に懸垂マシン・・いや、ハンガーラックを置いて、出掛ける際に上着を選びやすいように工夫したのだと勘違いした模様。まぁどう思われようが構わないが、それよりも懸垂マシンがいつの間にか便利なハンガーラックに様変わりしていたことに、家主であるわたしは気付いていなかった。むしろ、そのことに驚いたのである。

 

そういえば、"腹の出てきたお父さんが、筋トレをしようと張り切ってダンベルを買ったはいいが、翌日には漬物石やドアストッパーになっている"という皮肉を聞いたことがあるが、まさにそれの延長に「懸垂マシンのハンガーラック化」が挙げられる。

そして、わたしは無意識にその道を辿っていたわけで、人間には「便利なものを本能的に嗅ぎ分ける嗅覚が備わっている」ということを、改めて再認識させられたのだ。

 

とはいえ、もしも我が家に懸垂マシンが存在しなければ、この7着のジャケットたちはいったいどこに掛けられていたのだろうか——。想像しただけでも恐ろしい。なんせ、唯一のクローゼットは狭く、冬物の上着を収納できるスペースなど皆無のわが家において、これほど物理的にかさばるアイテムを大量に保有することなど不可能・・・のはずだった。

しかしそれを可能にしたのが、この懸垂マシンというオブジェだったのだ。残念ながら懸垂をすることはなかったが、それでも何かを引っ掛けることがコイツの使命であり幸せだと思うと、衣服を引っ掛けること——しかも大量に引っ掛けることこそが、コイツにとってのセカンドキャリアといえるのではなかろうか。

 

そんな、苦しい言い訳のようなアカデミックな思想を抱きつつ、見事にハンガーラックと化した懸垂マシンを見つめるのであった。

 

llustrated by おおとりのぞみ

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