昨日、私はとある結論を導き出すことに成功した。時間に対する概念とでも言おうか、考え方を変えれば人間の意識を強制的に変化させることができる、ということを発見したのだ。
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私はしょっちゅう遅刻をする。無論、故意でもなければ悪意もない。ただただ何かに導かれるかのように、なぜかいつも遅刻してしまうのだ。外出するときはむしろ毎回、
「今日こそは遅刻しないぞ」
と肝に銘じて家を出るのだが、家を出る時点ですでに遅刻確定の場合もあれば、余裕を持って出たにもかかわらず、人身事故だの信号機の故障だの仕事の電話だの、自発的な原因ではなく遅刻を余儀なくされることもある。
そして私の遅刻癖は、目覚まし時計をいくら早めにセットしようが、前日から準備を整えておこうが関係ない。色々な対策を練れば練るほど、私自身が柔軟に対応してしまうからだ。
そんな八方塞がりの状況に、一筋の光が差した。
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昨日のこと。遅刻厳禁の重要な勉強会が開催された。とはいえ私にとって「遅刻厳禁」という四文字熟語は「無味乾燥」と同じくらい意味がない。そんなことはかなり昔から分かっているのだが、それでもなんとかして間に合う術を探した。
じつはこの勉強会、直前まで詳細が明らかになっていなかった。日時と場所は分かっていたが、参加の可否が直前まで未確定だったため、私はカレンダーにおおよその時間と場所だけを入力していた。
そして当日。距離にして2キロも離れていない場所への移動は、当然タクシーである。地下鉄沿いの駅ならばまだしも、距離は近いが公共交通機関が使えない場所への移動は、電車を何度も乗り換えて遠回りするよりも、タクシーでサッと移動するに限る。
こうして私は、いつもの如くスヌーズ付きでアラームをセットすると、いつもの如く「遅刻などぜったいにしないぞ!」という気持ちを胸に準備を始めた。
すると突然、スマホに通知が届いた。
「13時20分までに家を出れば、次の予定に間に合います」
Googleカレンダーに予定を入れておくと、こうして勝手に経路を検索し、予定時刻から逆算した出発時刻を教えてくれるのだ。13時20分まではあと7分、急げば間に合う。
「今すぐ家を出れば、次の予定に間に合います」
再び通知が届く。わかっている、うるさいな。時刻は見事に13時20分。今すぐ家を出れば間に合うことくらい、さっきからわかっているわい。
だがまだ準備が終わらない。いつだってそうだ。急いでいる時に限って、干していた洗濯物が乾いていることに気づき畳んでしまったり、ゴミ袋を一つにまとめて捨てる準備をしてしまったりと、やらなくていいとわかっていても手が勝手に動いてしまうのだ。
そして壁時計を見ると、13時24分を指している。4分出遅れた。
だが4分程度ならばいくらでも挽回できる。全速力で走ればいいからだ。
通知どおり13時20分に家を出たとしても、エレベーターが全然来ない可能性がある。エレベーターがすぐに来たとしても、駅へ降りるエスカレーターが点検のために使えない可能性がある。
このような突発的なトラブルに遭遇すれば、時間通りに家を出たとしても間に合わないわけだ。
そう考えると逆に4分出遅れたとしても、エレベーターが私の階で待ち構えていて、駅のエスカレーターもスイスイ稼働していれば、そして、さらにこの立派な脚で全力疾走すれば、4分の遅れは取り戻せるはず。
根拠のない自信に満ち溢れた私は、全速力で家を飛び出た。そして大通りへ出ると点滅する青信号を駆け抜け、向こうからやってくる空車のタクシーに両手を振った。
ここまでスムーズにタクシーが拾えるとは思っていなかったが、人間たるものやればできる、ということが証明されたわけだ。どこか誇らしい気持ちを背負いながら、調子よく勉強会へと向かった。
(・・・13時34分)
勉強会の開始は14時。私はかなり早い時刻に会場へ到着してしまった。たしかにタクシーは一度も信号に引っかかることなく、快調な走りを見せてくれた。とはいえ、こんなにも早く着いてしまったら身の置き所に困るではないか。
というか、Googleカレンダーはいったいどんなミスを犯したのだ?これほどの時間差が生じるなど、にわかに信じられない。
そこで私はカレンダーの通知をクリックすると、AIが推奨する経路を確認した。
(・・・なるほど)
なんてことはない、公共交通機関を使っての最短経路を示していたのだ。乗り換え一回、歩くこと10分。・・・そんな経路、誰が使うか!
だがここで、一つの事実を掴んだことに気がつく。そう、私は今日遅刻をしていない。むしろかなり早々と会場入りしたわけで、この方法を使わない手はない。
今までは予定時刻をキッチリ把握し、それに合わせて準備をしていたため、どこかで隙というか余裕を生んでしまったのだ。そのため「走れば間に合う」とか「電車が遅れるかもしれない」などという、あり得ない言い訳を作っては遅刻していた。
ところが今回のようにおよその時間、しかも少し早めの時間でスケジューリングしておけば、「正確な時刻が分からない分、なんとなく早めに行動してしまう」ということが分かったのだ。
よく言うではないか、「何事も遊びが必要」と。遅刻も同じだ。あえて正確な開始時刻、あるいは集合時刻を把握するのではなく、なんとなくそのくらいの時刻で記憶しておく方が、本能的に遅刻を回避できるというわけだ。
そんなライフハックを発見した私は、今日も絶好調でタクシーに手を挙げるのであった。
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