ロッキーになったシロガネーゼ、まさかの敗北

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わたしの脳裏にはロッキーのテーマが流れていた。とはいえ、恥ずかしながら映画・ロッキーを観たことはない。

にもかかわらず、主人公がシルヴェスター・スタローンであることや、テーマソングを聞いただけでボクシングを彷彿とさせることなど、恐るべき影響力を持つ映画だということは知っている。

 

ではなぜ、わたしの脳裏にロッキーのテーマが流れたのか——それは、今まさにリング上で、対戦相手の猛攻をかわすボクサーの心境になっているからだ。

 

 

もはや動体視力だけでは追いつくことができない。よって、周辺視野と勘を駆使したウィービング(頭を左右に揺らす動き)により、次から次へと襲いくる鋭い攻撃をかわさなければならない。

(フンッ、人間を舐めるなよ!)

調子よく首を振りながら、無傷のまま歩を進めるわたしとは対照的に、周囲のボンクラどもは顔の前で手を左右に振りつつ、敵の攻撃をまともにくらっている様子——これだから凡人は、埒が明かない。

 

ボクシングを習ったこともないわたしが、なぜ小気味よくウィービングを披露しているのかというと、行く先々に小さな羽虫が飛んでいたからだ。

日中の気温は20度を超えるようになり、夏の虫たちもいよいよ活動シーズンが始まった様子。そして夏の虫といえば「蚊」である。とはいえ、目の前を浮遊しているのは蚊ではないが、飛翔性の昆虫であることは間違いない。

 

そんな"名もなき小さき虫ども"に行く手を阻まれたわたしは、おもむろに「ロッキー」というワードが思い浮かんだのだ。

(そうか・・ボクサーのように頭を振りながら、相手のパンチをかわしつつ先へ進めばいいんだ!)

大量の小型飛翔昆虫は、不規則な動きでわたしの顔面目掛けて突進してくるため、動向を視認してからでは出遅れてしまう。そのため、ある程度の予測を立てつつ、しかし目はしっかりと虫を捉えつつ、ウィービングを繰り返すことで虫どもを蹴散らしながら前進を続けるしかないのだ。

 

しかし羽虫というのは、視界に入らなければまったく気にならないどころか、存在すら気がつかないわけだが、一度見つけてしまうと「飛蚊症」というだけのことはあり、視野のどこかで黒い小さな物体がフラフラと飛翔・・いや、浮遊しているから薄気味悪い。

正々堂々と目の前へ現れればいいものを、あっちへふらふらこっちへふらふら、人間を小馬鹿にしているかのような動きを見せるあいつらは、叩き潰せば一瞬にしてあの世行きだというのに、なかなかヒットしないのも腹が立つ。

 

そんな相性の悪さを持つ羽虫と人間代表のわたしは、一進一退の攻防を繰り返した。奴らが飛んでくればわたしは顔をずらしてかわし、奴らの間をくぐり抜けて先へと進む・・かと思えば、再び羽虫バリケードに引っ掛かりそうになり、ウィービングでかわす——。

まるで息の合ったコンビのように、付かず離れずの距離を保ちつつ我々の戦いは続いたのである。

 

とその時、最後の難関と思われる羽虫バリケードを突破した——はずのわたしは、まさかの自爆行為で羽虫にノックアウトされたのだ。

わたしの右目付近を浮遊していた羽虫野郎を、小さく顔を傾けることでかわしたわたしは、その見事な動きに惚れ惚れしていた。そして、勝利の雄叫びならぬ勝利の深呼吸をした瞬間、わたしの鼻の穴に避けたはずの羽虫が吸い込まれたのである!!!

 

(むわっっっ!!!!)

 

慌てて逆の鼻の穴を抑えて「フンッ」とするも、羽虫は飛び出てこなかった。予想以上に大きく呼吸してしまったため、鼻の奥のほうまで吸い込まれたのだ。

そういえば、喉と鼻の間あたりに嫌な違和感がある——。

 

——間違いない。羽虫は鼻腔から咽頭へと落ちてきたのだ。そしてこのまま唾を飲み込めば、胃袋へと押し流されるわけだ。

(嫌だ、絶対に嫌だ! 昆虫食だかなんだか知らないが、こんな形でタンパク質を摂取する必要などない!!)

しかし、喉の奥に貼りついた羽虫からは、簡単に剥がれるであろう気配は感じられない。もしも水分があればうがいでもするが、そういった手持ちもない今、羽虫の死骸は刻一刻と食道の入り口へと向かっているのだ。

 

(喉の奥に極小の異物を感じる。実に不快!不快ではあるが、なすすべ無し・・・)

 

覚悟を決めたわたしは大きく息を吸い、天を仰ぐと静かに目を閉じた。そして、ゴクリと唾を飲んだ。

——なんの味もしなかった。ただ、後味だけはこの上なく悪かった。

 

Illustrated by 希鳳

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