覗く女

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そういう趣味があるとか、ソッチの気があるとかではないが、わたしは玄関のドアに付いている「のぞき穴」を覗くのが習慣となっている。

 

もちろん、他人の家を覗くのではなく、自宅の内側から外を覗くのだが。

 

 

都心のマンションは狭い敷地に無理くり建てるため、どうしても不便&不思議な間取りになりがち。

家相だの鬼門だのを気にしていたら、家は建たない。

 

一般的に、玄関のドアを開けて一歩踏み込むと、三和土(たたき)と呼ばれる靴を脱ぐスペースがある。もちろん、我が家もそうなっている。

だが、三和土の延長にトイレがあるのが我が家の特筆すべき点。

引き戸一枚で、三和土とトイレは同じ床の上に存在する。

 

トイレの引き戸を開けっぱなしにしていれば、三和土とトイレの境目は存在しない。つまり、玄関がトイレなのだ。

 

我が家には思いの外に人間が訪れる。宅配便やウーバーイーツの配達員だ。

さすがに彼らも「玄関を開けたらトイレ」だと驚くだろう。そこでトイレの引き戸を閉めてから、玄関のドアを開けるようにしている。

 

これはいたって普通のことで、我が家に住めば誰でもこうするはず。

 

しかし「クセ」というのは不思議と身につくもの。誰も訪れはしないのに、トイレに行くたびに玄関のドアレンズを覗き込むクセがついてしまった。

 

(ふむ。誰もいない)

 

玄関の外に誰も立っていないことを確認してから、わたしはトイレに入るのだ。

 

そもそもの発端は、

「ドア一枚では音が漏れるのではないか」

という不安からだった。

 

つまり、誰かが玄関の近くに立っていたら、その人が去るまでトイレを我慢する。そして確実に誰もいなくなったことを確認してから、トイレに入るようにしている。

 

さらにトイレから出た後も、念のためドアレンズで外の様子を確認する。もう済んだこととはいえ、誰かにトイレの音を聞かれたかもしれないという事実は、今後のためにも知っておくべきだからだ。

 

こうして、

「誰も立っていないドアの向こうを、数分間覗いてから部屋へ戻る」

というのが、わたしのトイレ・ルーティーンとなった。

 

まぁ、ちょっとしたパトロールの延長といったところか。

 

 

何やら外が騒がしい。

室内にいると、隣りの部屋の物音はしないが玄関の外の音が聞こえてくる。

 

これは、隣りの部屋との仕切りは分厚いコンクリートであるのに対し、玄関のドアは若干の隙間があるからだろう。

 

気になるわたしはそっとのぞき穴を覗く。

 

(・・引越しか)

 

斜め向かいの部屋が引っ越すらしい。業者が養生作業をしている。

 

物音というのは不思議で、それが何の音でどういう理由で発生するのか分かれば、案外気にならない。

だが、いったい何なのか分からないと気になって仕方ない。

 

「電車の中で通話をしてはいけない」というアレも、似たような理由だろう。

 

電話をしている人間は目の前にいるが、会話の相手がどんな人物なのか、どういう関係性なのか、どういった内容の話をしているのか分からないため、なんとなくイライラする。

しかも電車の走行音で聞こえにくいからか、やたらデカい声になるのも耳障り。

 

「あー、はい。えぇ、えぇ、そうですね。承知しました。んー、どうでしょうねぇ。まぁ、そう、アハハハ、たしかに!」

 

なんとなく仕事の会話だろうと予想がつく。なぜなら、適度なビジネス敬語を使っていることと、こちら側で話している人物が見るからにサラリーマンだからだ。

ーー仕事の電話じゃ仕方ない。

そう妥協してあげたいところだが、若者のプライベートな会話はさすがにスルーできない。

 

「うん、うん。え、マジ?ヤバくない?てかオワッてんじゃん。はぁ?それガチ?ヤッバ!」

 

ーーその会話はさすがに今じゃなくても大丈夫だろう。ヤバくてオワッてるなら、電車を降りてからでも間に合うだろう。

 

そう感じる人が多いから、「車内での通話」が禁止されるのだ。

 

さらに会話の内容を聞いたとて、さほど重要ではないことくらい想像できる。となると、意味不明で緊急性のない話を大声ですることは、多くの乗客を不快にさせるといえる。

 

ここで不思議なのは、車内で学生らがくだらない話でバカ騒ぎをしても、誰も注意しないことだ。

 

相手がいるため会話の内容が分かるからか、不思議とイライラしない。

ロクでもない会話に違いはないが、話の全容が見える時と片方の会話しか見えない時とで、こうも違うのだ。

 

これらの教訓からわたしは、在宅時に外から聞こえる不審な物音について、逐一、のぞき穴で確認することにしている。

それが何の音か分かれば、イライラしないからだ。

 

だが本当の理由は別にある。

まずは、

「外に誰もいないにもかかわらず物音がする」

という状況に遭遇したい願望がある。

 

もしくは、

「ドアレンズを覗いたら、見知らぬ誰かがドアレンズを覗き返している」

というシチュエーションでもいい。

 

そんな「起きるはずのない状況」にわずかな期待を抱きながら、わたしは日々、のぞき穴を覗いている。

 

(・・しかし隣りの家のドア、キィキィうるせーな。クレ556でもスプレーしてやろうか?)

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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