ブータシャーブーズ

Pocket

 

苦手なことってなんだろう。

トップはもちろん「料理」だ。あれはひどかったし、もう二度とやらない覚悟を決めさせてくれたことには感謝している。どうしたらあんな大惨事になるのか、小学生がやったってああはなるまい。そしてわざと失敗するなどという芸当も持ち合わせていないため、どう考えても「不向き」と言わざるをえない。

 

では、ほかに苦手なことってなんだろう。

日常的に感じる苦手な行為といえば「文字を読むこと」かもしれない。特に難しい言い回しや文体は苦手だ。目に入った途端に読む気が失せる。何らかの攻撃を受けているような気持ちになるというか。

 

それでも自分が何かを書く以上、他人の文章を読まないことには幅が広がらないし経験も積めない。そんな「気難しい文体恐怖症」の私に、友人が数冊の本を送りつけてきた。

 

「うらべちゃん、あんたはこれ読まなあかんで」

 

この男、某市会議員を20年務め、集大成で挑んだ同市長選で選挙アルアルの罠にはまり政界を去り、今は米国最先端の脳科学とマーケティングを合体させた学問「ニューロマーケティング」を専門とする、脳科学者。そしてたまにラーメン屋という謎のキャリア。

 

一風変わった天才肌の友人。彼は私を正しく理解しており、事あるごとに助言をくれる。そんな友人がゴリ押ししてきた本は、ボブ・グリーン著「チーズバーガーズ」だった。

ボブ・グリーンはアメリカのジャーナリストでありコラムニスト。彼のコラム集は一つの話が3,000字程度の短さ。

さらに和訳されている分、日本人がスラスラ書いた読み物とは異なる「心地よい違和感」があり、読書が苦手な私でも苦労せずに読み進めることができる。

 

タイトルが「チーズバーガーズ」だからきっとチーズバーガーの話題も出てくるのだろう、と待ち構えていたが、結局登場しなかった。

そして最後の最後のページ「訳者のあとがき」の一番最後に、とうとうその種明かしがされた。

 

「最後にこの本のタイトルについて説明しておかなければならない。グリーンは以前だれかに、コラム集のような本を出すときは、自分のいちばん好きなものを集めた本だということを伝えるようにしたほうがいい、といわれたことがあるらしい。それが「チーズバーガー(ズ)」である。

 

なるほど、アメリカ人らしいチョイスだ。ハンバーガーではなくチーズバーガーを選んだあたりに、ボブのこだわりを感じる。

私ならば「豚しゃぶ」とか「チーズケーキ」とか「抹茶」になるのだろうか。それはそれで確かに魅力的なタイトルだ。

 

風変りな友人がこの本を以って何を伝えたかったのか、正解は分からない。

だが、文字数が少なかろうが面白いものは面白い。そして内容も、奇をてらったものや事件めいたものではなく、まぁその人にとっては日常的な部分からの抽出で十分。要は、それら元ネタをどう表現していくのか、ということなのではと勝手に解釈する。

 

ーーただし、私にとって一番刺さったのは、巻末の一文だったとはとても言えない。

 

 

「読め」と言われたわけではないが、どうしてもその先が知りたくて、珍しく自ら購入した本がある。

 

ある日、ページの一部が写る画像が友人から送られてきた。

「この続き、どうなると思う?」

うーん、どうなると言われても私ならこう進めるかなぁ。などと考えたのは、アスファルトの上で車にひかれてぺしゃんこに干からびたミミズの話。このすでに死んでいるミミズがしゃべっているのだが、最終的な着地点として作者はどんなゴールを用意しているのだろう。

 

散々考えたあげく、友人から最後の一行の画像が送られてきた。

 

「以上のことは嘘である。」

 

・・・・・。

こんなシュールで劇的な終わらせ方があるだろうか。そりゃ嘘に決まってる。現実的に死んだミミズがしゃべることもないが、そもそもミミズがそこまで考える知能を携えているかどうかも怪しいところ。

それでも必死にその先を考えた私はいったいなんだったんだ。最終的に「嘘に決まっているではないか。」などと言われれば、「そりゃそーだ!」と返すしかない。

 

だが、このコラムの作り方は私の考えを大きく変えた。もしバイブルなるものが存在するとしたら、私のそれは間違いなくこの本だろう。

その名は、清水善範著「私は作中の人物である」

 

なぜこんなにも共感を覚えたのかというと、シンプルに私も同じようなことを考えていたからだ。干からびたミミズの生涯を想ったことはないが、命のないもの、人間ではない生物、それらがどう思っているのかを勝手に想像(妄想)し、勝手に解決するクセがある。

なので、作者が「嘘である」と言い切ったこの技法を用いれば、どんな妄想でも現実化できると知った。

 

武器を得たゴリラ誕生の瞬間だ。

 

 

「コボちゃんが毎日おもしろいとは思わない」

 

突然、友人が切り出す。

コボちゃんは読売新聞に連載される4コマ漫画。かれこれ40年近く国民から愛され続けるキャラクターだ。その4コマ漫画を例に挙げての会話。

 

「(週一の)日曜版の漫画はコマ数も多いけど、コボちゃんみたいに毎日なら4コマ。そのくらいがちょうどいい」

 

彼女曰く、

毎日連載することに意義があるならば、ボリュームは少なくていいし打率も10割じゃなくていい。日刊紙のコラムも毎日素敵な記事が掲載されているとは思わない、でも、たまに響く記事がある。それでいいと思うーー。

 

なるほど。同じ文字やイラストとはいえ、その用途や得意分野は異なるものなのだと知る。

コボちゃんと鬼滅の刃を単純に比較するのは間違っている。長編小説とショートコラムを比較するのも間違っている。それぞれの良さや楽しみ方があり、読む側がそれを選択しているわけで。

 

 

私は、今までもこれからも私が選んだ道しか進まない。他人に媚を売ってまで手に入れたいものなどナイ。

その上で3人の友人が与えてくれた知識を総括すると、

・チーズバーガー

・干からびたミミズ

・コボちゃん

ということだろう。なるほど、どれも魅力的なワード、さすがは我が友人。

 

 

このように、読書が苦手な私は本から何を得るわけでもなく、友人らの有益なアドバイスすらも無駄にするわけで、目覚ましい成長など見込めるはずがない。

 

そう、秘密兵器と煽(おだ)てられ、永遠に温存されるタイプなのだ。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です