なんだそのギャップ選手権

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人間の魅力とは、ギャップにある。

 

見た目とのギャップ、会話のギャップ、その人と交流を深めるうちに、意外なギャップが見えてくる。

 

しかもギャップというやつは、良くも悪くもその人の魅力を深めるから不思議だ。

 

 

とある事情から、酒類消費量を眺めていた。

消費量の上位を見ていると、東京都がブッチギリのトップ。

続いて”酒どころ”といわれる県が続く。

まぁ、想像どおりだ。

 

逆に、酒類消費量の少ない県をみると、

「地図上で指さしてみて!」

と言わても、残念ながらどこにあるのかわからない県ばかりだ(失礼な)。

 

友人のアントニオは、岐阜県の山奥に住んでいる。

生まれは、お隣りの滋賀県。

毎晩、酒をかっくらっては、楽しそうに生きている。

 

そして、

 

酒類消費量断トツのビリは、滋賀県。

ビリから二番目は、岐阜県。

 

酒をもっとも消費しない県に生まれ、

酒を2番目に消費しない県に住みながら、

酒を毎日大量に消費するオトコ。

 

――いま頃、気分よく寝落ちしているであろうアントニオ

 

そのギャップに、笑いをこらえることができなかった。

 

 

酒豪つながりで、友人のフェルナンドは女子格闘家だ。

背中だけ見るとガチムチ鳥にしか見えない。

仮に人間だったとしても、フィジークの選手(男性)といったところ。

 

 

ケージと呼ばれる金網のなかで、顔面流血させながらも壮絶な殴り合いを繰り広げるガチムチ鳥、いや、フェルナンドは女子大出身だ。

 

しかもその大学は、よりによって上皇后美智子(美智子様)の出身校、聖心女子大学。

 

中学から聖心女子大学付属の学校で寮生活を送り、生粋のお嬢様であり、お妃候補になり得る可能性すらあった(年齢によっては)。

そして、食事の際は完璧なテーブルマナーとお祈り、ミサや奉仕活動にも参加させられ、ミッションスクールにおける最高の英才教育を受けてきた。

 

ところが、ダイエット目的で通い始めたジムがきっかけで、お嬢様は格闘技を始めることとなった。

 

――そこからおよそ15年。

聖心出身のフェルナンドは、チャンピオンベルトを巻くゴリマッチョに成長した

 

 

聖心女子大学つながりで、もう一人。

友人カートは、お嬢様の代名詞・兵庫県芦屋出身、おうちは大病院という、ザ・お嬢様。

 

色白、ストレートロングヘア、フリルのワンピースが地で似合う人物など、彼女以外に見たことがない。

 

親御さんに愛され大切に育てられてきた、箱入り娘っぷり溢れるカートの中高時代はもちろん、聖心女子大学付属。

 

そして、お嬢様の音楽と言えばクラシックが当たり前。

のはずだが、なぜかロックに目覚めてしまったカート。

 

「エルメスのブレスレット」ではなく「トゲトゲのついたバングル」を装着。

さらに、「コンサート会場」ではなく「ライブハウス」へ足繫くかよう愛娘を、お母さまは涙を流しながら見送ったそう。

 

そんな、見た目も経歴もバッチリお嬢様は、現在、格闘技に没頭中。

 

白くしなやかな細い腕に、薄っすらとすじばった筋肉が見えたとき、なんとも切ない思いがよぎった。

 

――超ロングヘアのワンレングスの娘に「前髪をつくること」すら許さないお母さまは、この腕やアザを見たら、失神してしまうのではなかろうか

 

 

ギャップは、文章にも現れる。

 

他人の原稿を読むとき、その人を知っていると、なおさら覚える違和感というものがある。

しかも、リアリティ重視の内容だと、より顕著に現れる。

 

たとえば、勝手気ままに書いているブログであれば、なんの制限もないため自由に書ける。

 

しかし、私自身がそうだが、何かを制限されたり限定されたりすると、筆が進まなくなる。

 

「こういう筆致で書いて」

とか

「エビデンスは国が出してるもの限定ね」

とか言われると、元から高くない能力がさらに半減する。

 

 

先日、たまたま知人の記事を見かけた。

のだが、普段の筆致とのギャップに、思わず署名を再確認してしまった。

 

それが、良いとか悪いとかの話ではない。

本人を知ってるがゆえ、なんともむずがゆい、照れくさい心境に陥ったという感じ。

 

 

ヒールを履かない女性に無理やりヒールを履かせた感じ?

 

――いや違うな

 

オッサンに女装させた感じ?

 

――それも違うな

 

語彙力の乏しさが悔やまれるが、とにかく、執筆者を知っていればいるほど、オカシい原稿だった。

 

念を押すが、内容が悪いとかそういうレベルの話ではない。

 

自分「らしさ」を前面に出した原稿はイキイキしており、読んでいて歯切れもいい。

グイグイ迫ってくる感じも、強く引き込まれる感じも、「らしさ」あふれて気持ちがいい。

しかし、「らしさ」を抑えつつ、クライアントの要望に沿って仕上げた原稿は、なんというか、

 

・・・かわいらしかった。

 

 

我が家には、乙(オツ)という名のフレンチブルドッグがいる。

 

フレブルは、もともとは闘犬だ。

それが、いまでは愛玩犬として室内で大切に飼われている。

 

ブサかわいさが人気のフレブルだが、その体つきは闘犬そのもの。

 

太く短い手足に丸太のような胴体。

手足の筋肉など筋骨隆々で強そうだ。

首も太くて立派ゆえ豚にすら見える。

 

そんな勇ましい風貌のフレブル。

 

ところが、なぜか悪趣味なお洋服を着せられ、変なおリボンを付けられ、無理やり散歩させられる姿をよく見かける。

フレブル本人は不本意だろうが、見ているこちらは愉快だ。

 

しかし、このような不本意で不名誉な状況でも、必死に歩き、全力で闘う(遊ぶ)フレブルは、なんとも愛おしい。

 

つまり、これはこれで、フレブルのチャームポイントなのだ。

 

 

さきほどの知人の記事のはなし。

 

私は執筆者を知っているから、そのギャップが生み出す「窮屈なかわいらしさ」を感じた。

 

しかし、その記事を初めて目にする人にとっては、それがファーストインプレッションになる。

 

つまり、なにもおかしくない。

 

よって、私が感じたあのギャップは、本人を知っているからこそのラッキーインプレッションということになる。

 

 

人にはいろいろな表情や側面がある。

良い部分、成功体験だけが魅力ではない。

 

 

――凛々しい顔に米つぶくっつけてるくらいが、人間らしくてちょうどいいんだ

 

 

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