政治家の話がわかりにくい件からの公務という思考停止

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先日、某大臣と某ヘアサロンで偶然一緒になった。

 

オッサンなのにわりと見た目も気を遣うんだな、と思っていたそのオッサンが、某大臣だった。

 

オッサンこそ身なりに気を遣うべきなので、髪型、眉毛、ヒゲ、服装、いろいろとチャレンジしてもらいたい。

 

ダイバーシティだの多様な生き方だの、政治主導で日本を変えていこう!と偉そうに言うわりに、全員スーツで右へならえ、同じような雁首を並べている。

 

ヒョロヒョロのもやしっこが「力こそパワー」と言ったところで、誰が賛同するか。

 

言い出しっぺがまず、率先して変わってもらいたいものだ。

 

 

討論番組をBGMに仕事をしていたところ、某大臣が登場した。

 

――この番組ために髪型整えたのか

 

まぁ、どうでもいい。

 

 

専門家の意見は、端的かつ断定的だ。

あーだこーだ回りくどいことを抜きに、コアな論点で話が進むので、聞いていて気分が良い。

 

それに比べ、政治家はどうして、ああも話が下手なのか。

 

なぜ、質問に答えないのか。

 

あまりにイライラするので、自分なりにカテゴライズしてみた。もちろん、某大臣のことを指しているわけではないので、悪しからず。

 

 

一、あたまが悪い

単純に、あたまが悪いのだろう。

聞かれていることにストレートに答えると、反論がくる。そして勝てない。

 

そのため、回りくどい言い方でそれとなく、正論ぽい内容に微調整している。

先の先を考えての発言だから、断定的な言い方を避ける。

 

「先のことを考えられるのだから、あたまが良いんじゃ?」

 

いいえ。

あたまの良い人は、まず質問に答えます。

着地点の見えない議論をするならなおさら、質問に答えます。そのうえで、目の前の問題から一つずつ、クリアにしていきます。

 

負けが分かっているから逃げ回る。

これが果たして、あたまの良い人のやることでしょうか。

 

 

二、対象が国民

目の前に質問者はいるのだが、その回答は「国民」へ向けられたものゆえ、話がかみ合わない。質問に答えられない。

 

会見してるんじゃないんだから、聞かれたことに答えてみなさいよ、と思う。

 

立場があることは承知している。

しかし、質問者は「あなたなら」と質問しているわけで、それに対する答えの対象は国民ではない、目の前の質問者だ。

 

そのやりとりが、質問者に対して失礼でしかなく、見ていて(聞いていて)気分が悪い。

 

職業は政治家だが、一個人の意見すらなく、党の飼い犬として代弁するくらいなら、あんたじゃなくていいよ、と思う。

 

 

三、気が弱い

とにかく、自分が責められるの怖い。

やんややんや言われたくないので、なんとなく丸め込んで、悪いんだか悪くないんだかわからないようにする作戦。

 

こういう人に限って、バックヤードに引っ込んだ途端、秘書に八つ当たりをする内弁慶だ。

 

 

四、話が下手

弁士、とはよく言ったものだ。

「弁舌の巧みな人、話の上手い人」を本来、弁士と呼ぶ。

 

にも拘わらず、話が下手な似非弁士=政治家が多すぎる。

 

声量と勢いで押し切ろうとする、内容の薄い議論は、聞いていて耳障り以外のなにものでもない。

 

 

・・まぁ、こんなところか。

しかし、政治家をこのような「あたまが悪く気の弱い似非弁士」にしてしまったのは、国民とメディアの責任もある。

 

いちいち揚げ足取りをするメディアと、それを受け身で鵜呑みにする国民。

そのプロパガンダというか「洗脳」が、政治家ならば誰でも攻撃してよい、というマインドを作り上げてしまった。

 

友人の国会議員と話をしたとき、私の質問に答えず、自分の意見をかぶせてこようとした。

イラっときた私は、友人の話を遮った。

 

「まず、私の質問に答えて」

 

すると友人は驚いた。

 

「ごめん、癖で・・」

 

政治家は、対象が個人ではなく大衆なのだ。大勢の皆さんに話をするため、1から100まで詰め込まなければならない。

そして右も左もザザッとさらった上で、なんとなく、真ん中へんにある結論を述べる。

 

そうしないと、民主主義の大海原で生き抜くことができないのだ。

 

 

政治家から話は飛ぶが、役所もなんというか、思考が停止した人間のたまり場だ。

 

いま、某年金事務所の職員と電話で話した。

 

 

「コロナ特例月変を修正、再申請するならば、申立書も再度作成した上で提出してください」

註:書類Aを再提出すなら、書類Bももう一度出しやがれ

 

「え?申立書は修正箇所ないんですけど。なんで同じものを再度、出さないといけないんですか?」

註:書類Bは直すところないんだし、そのまま使えるじゃん

 

「決まりなんで。もう一度、同じものでも作ってください」

註:でたよハイエナめ。こっちはお役所なんだよ

 

「そしたら、その目の前にある申立書はどうするんですか?」

註:オイオイ、正気かよオマエ

 

「これは破棄します」

註:ゴミ作らせやがってカスめ

 

「は?その申立書はそのまま保管すればいいんじゃないの?なんのために同じものを作り直さないといけないの?」

註:ちょっとスパーリングでもする?

 

「決まりなんで」

註:キリッ

 

「じゃあさ、申立書のコピーをそのまま送るけど、それでもいいわけね?」

註:オマエ何帯?格闘技経験あんの?

 

「いいですよ、そうしてください」

註:ワイは頭脳派や、脳ミソ筋肉め

 

「は?????なぜ時代に逆行するような、無駄なことをする?」

註:よし、20時にトライフォース赤坂来いや、逃げんなよ

 

 

・・というようなやり取りがあった。

なにゆえ、使える書類を捨てるのか。

そして、その捨てた書類のコピーを再度送れ、などということは、正気の沙汰とは思えない。

 

しかしこれが、お役所というやつだ。

 

 

政治家や公務員といった公務に就く人は、「個人」という人間味を失ってしまう職業なのかもしれない。

 

かつて、某役所で勤務していたときに言われた言葉を、今でも忘れられない。

 

「あなたが来庁者に、特別なサービスをしてしまったら、『すべての住民に公平なサービス』とならないことを理解してください」

 

これには衝撃を受けた。

 

簡単にいうと、私が高度な対応やアドバイスをすると、他の人(職員)だとできないことがクレームになるから、そういう身勝手なことはやめてくれ、ということだった。

 

納得はできないが、理解はできる。

 

良くも悪くも、一定レベルを維持しなければならないのが、公務だから。

 

 

しかしそんな堅物も、仕事着を脱いだら笑顔こぼれる面白い人間であってほしいと、願う。

 

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