スリランカを敵に回すであろう、泥味のコーヒー。

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お気に入りの珈琲店ならば多少遠くても足繁く通う・・という、コーヒー欲に対して素直なわたしは、先日たまたま見つけた「浅草橋・nano-coffeeroaster(ナノ・コーヒーロースター)」を再訪した。

とりあえずは、メニューにあるドリップコーヒーをすべて制覇しなければ気が済まないので、本日も2~3杯ほどいただいて帰ろうと思っていたところ、一人の男性客が静かに入店してきた。

 

どうやら店長とは以前からの知り合いのようで、その男性もコーヒーツウであろう秘めたオーラを放っていた——マズいぞ。コーヒーのキャリアといえば、しがないバイト程度しか経験のないわたしが、この時点で最もコーヒーを語れない人間になってしまった。

そうこうするうちに、また新たな男性客が入って来た。彼も、店長が前の店で働いていた頃からの知り合いらしく、かつての珈琲店の話題で盛り上がっている。

(にしても、わたしが来てからどんどん客が集まるじゃないか。これぞまさに招き猫体質・・ってやつか)

そんなことを思いながらも、今現在この店で「コーヒーを最も語れないオンナ」として君臨するわたしは、聞いたことのないコーヒー談義に耳を傾け頷きながら、彼らの会話に必死に乗っかろうとしていた。

 

そんな流れのなか、インドネシアやベトナムのコーヒー豆について意見が飛び交ったとき、わたしはふとスリランカのコーヒーを思い出した——あぁ、懐かしいな。

今から10年ほど前のこと、セイロン島に住む知り合いが帰国の際にお土産としてコーヒー豆をくれたことがあった。すでに挽き豆の状態だったので、とりあえずペーパーフィルターで淹れてみたところ、なんというか薄味の"コーヒーっぽい飲み物"が出来上がってしまったのだ。

(コーヒー風味のお湯・・?)

 

しかし、これを買ってきてくれた知人は、「セイロン島と聞くと紅茶が有名だと思うけど、じつはコーヒーも有名。現地の人たちはみんな、このコーヒーを飲んでいるよ」と言いながら、現地でしか手に入らないであろう銀色のパックに入ったコーヒー豆を手渡してきたのだ。

そもそも、わたしがコーヒー好きであることを知っているため、スリランカのコーヒー、すなわち「セイロンコーヒー」の中でも選りすぐりの一品を持ってきてくれたのは間違いない。

そこで今一度、もらったコーヒー豆をまじまじと眺めていたところ、挽き豆がやけに細かいことに気がついた。まるで砂のような——ハッ!これはインスタントコーヒーだったのか。

 

淹れ方が間違っていたことに気付いたわたしは、すぐさまマグカップにコーヒーの粉をぶちこむと、熱いお湯をなみなみと注いだ。そしてスプーンでかき混ぜながら、いよいよ本物のセイロンコーヒーを味わえる期待に胸を躍らせていた。

(そろそろ・・かな)

マグカップを持ち上げると、どす黒い液体を揺らしながらアロマを確認した——うん、スリランカのにおいがする。そして一気にコーヒーを口の中へと流し込んだ。あぁ、これが本場の味なのか——。

 

(・・・え)

 

スリランカという国へ行ったこともなければ、セイロンコーヒーを飲んだこともないわたしは、現地に住む知人からもらった「本物のセイロンコーヒー」こそがそれだ・・と、信じるしかない。

にしても——だ。なんだこの泥のような味は。慎重に言葉を選んだとしても、泥か土以外に適切な表現が見当たらないほど、コーヒー風味の熱い泥水を飲んでいるとしか思えないのである。

あまりの不味さ・・いや、独特な風味にショックを受けたわたしは、とりあえず一杯飲み終えると、大量に残った挽き豆の今後について検討した。

(コーヒー豆を消臭剤の代わりにするとか・・そうだ、タバコを吸う人にあげようかな)

もはや完全に、コーヒー豆をコーヒー豆として使う選択肢は消えていた。かといって、もらいものを捨てるのも気が引ける。ならば二次利用するしかない——。

 

そんなことを考えながら30分ほど経過した頃、わたしの体に異変が起きた。それはまさに"予想だにしない変化"だった。

(もう一度、あの不味いコーヒーを飲んでおこうかな・・)

あんな泥水のようなコーヒーを、再度「飲もう」という気になったのか、その理由は分からない。それでも、なぜかわたしの体は泥水を欲したのだ。

こうして、一日に何杯も泥水・・いや、泥湯を飲み続けたわたしは、お世辞にも「美味い」とはいえないセイロンコーヒーの虜となった——そんな懐かしい思い出が、ふと頭をよぎったのである。

 

そこで、この笑い話をコーヒーツウらに聞かせたところ、「そんな珍しいコーヒーがあるなら、一度飲んでみたいよね」からの、「現地人が飲むガチなセイロンコーヒーは、泥の味がする」という結論に落ち着こうとしていた。

だがその時、わたしの隣りにいたコーヒーツウが、ボソっと呟いたのだ。

「煮出して飲むコーヒーだったのかな・・」

この言葉を聞いた瞬間、10年来の謎というかモヤモヤが一気に解消された気分になった——そうだ、あれは煮出して飲むコーヒーだったんだ。

 

確認したわけではないが、なんというか絶対的な自信があった。あれは、フィルターでドリップするでも、インスタントコーヒーのようにダイレクトにかき混ぜるでもなく、鍋で似出して上澄みをコーヒーとして飲むものだったのだ。

そういわれればすべての合点がいく。なぜ泥のような味がしたのかといえば、コーヒーの粉が口に入ったからに他ならない。そして、ペーパーフィルターで淹れた感じからして「これは違う」と察したわけで、となれば煮出す以外に方法はない。しかも、容易にイメージできるのだ。あのコーヒー粉を煮出せば、いわゆる"セイロンコーヒー"が出来上がるというイメージが——。

 

 

今日の出会いがなければ、わたしはこれからもずっと「セイロンコーヒーは泥の味がする」と、誤った知識のままスリランカを敵に回すこととなっただろう。

とはいえ、あの挽き豆を煮出して飲むチャンスが訪れるかどうかは、正直なところ分からないし現実的には難しい。要するに、正解を体感することなく、わたしの中では「泥味のコーヒー」のみが生き続けるのであった。

 

(・・それもそれで、またオツなものだ)

 

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