圧巻の終業時刻

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とにかく社労士的には、長野駅の駅ビルの経営者は素晴らしいと思うのだ。

20時前にふらりと立ち寄った駅ビル内のみやげ物売り場には、美味そうなアップルパイや抹茶のタルトが並べられていた。

長野といえばリンゴが有名なので、アップルパイだけでなくリンゴの菓子は豊富に取り揃えてある。そこでわたしは、自分用に手作りアップルパイを購入しようと思ったのだ。

(他にも美味そうなものはないかな・・)

アップルパイは確定だが、もしかすると、さらにわたしの気を引く菓子やケーキが隠れているかもしれない。それを知らずにアップルパイだけで済ませるのは、あまりにもったいないので、わたしはフロアをぐるっと一周してみることにした。

 

まず視界に飛び込んできたのは、大きなサイコロのような形の抹茶と黒豆のケーキだった。抹茶にめり込んでいるのが小豆じゃなくてよかったが、黒豆すらも不要である。

しかしなぜ、人は抹茶に豆類を混ぜたがるのだろうか。抹茶の風味とほのかな苦味、そしてまろやかな甘みだけで十分ではなかろうか?それなのになぜ、懲りもせずに小豆だの黒豆だのを混ぜ込むのだろうか。まったくもって理解に苦しむ。

 

ほかにも美味そうなキューブケーキが並んでいるが、どうせならば抹茶を試してみたいところ。だがどうしても、あの黒豆が気になって手が出せない。

ここへきてわざわざ、黒豆と抹茶を同時に味わいたいとは思えないわけで、そうなると黒豆を取り除くことになる。ところが黒豆は、わりと大粒で存在感があるため、アイツをほじくり返したら、抹茶ケーキの半分が消失するだろう。

ならば、心を無にして黒豆ごと頬張るべきなのかもしれないが、苦しい思いをしながら大好きな抹茶を食べる意味などあるのだろうか――。

 

そんなことを考えているうちに、なんだかバカバカしくなったわたしは抹茶ケーキの前から去った。

次に栗菓子の店が現れた。これまた栗というのも微妙で、栗おこわは大好物だが、栗かのこや栗きんとんといった、栗にもかかわらずアンコを彷彿とさせるテクスチャの菓子は苦手なのだ。

なにも無理に甘くさせなくても――。

というわけで、栗菓子にも手を出すことなくその場を後にしたのである。

 

(どれもイマイチだな・・)

 

ぐるっと一周してみたが、これといってめぼしい菓子は見当たらなかった。そこでわたしはアップルパイの店へ戻ると、レジ待ちをしている客の後ろにならんだ。

お目当てのアップルパイは残り3つとなっており、どうせなら全部買い占めてやろうかな、などと企んでいたその時。20時を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 

(!?!?!?)

 

なんとその瞬間、フロア中のすべての店のショーケースの照明が消えたのだ。紛れもなく、店員たちはこの鐘の音に合わせて電源を切ったのである。

その用意周到さといったら抜かりない。職人芸といっても過言ではないくらいに、一発目の鐘の音と同時にバチっとスイッチを押す音が鳴り響いたのだから。

 

どこぞの国のマスゲーム顔負けの連帯感である。まるで申し合わせたかのように、すべての店舗の照明が消され、商品に白い布をかぶせ、さっさとレジ締めを行っているのだ。

たしかに客もそれほどいないので、閉めたもん勝ち!といった雰囲気が漂うのは間違いない。仮にのろまな客が「あのぉ・・」と声を掛けたところで、「ごめんなさい、見ての通り閉店です」と言われるのは明白。

よって店員らは、この圧倒的な閉店ムードを醸し出すことで、定時に仕事を終わらせているのである。

 

(うーん。わ、わるくない・・・)

 

客の立場からすると、もう少しアレコレ迷いたい気持ちはある。だが、労働者の立場からすると、いや、使用者の立場からすると、残業を減らすのが時代の流れとして当然のこと。

であれば20時の閉店と同時に、有無を言わせず業務を終了させることこそが、労働時間管理の真髄であり使用者の鏡である。

 

無駄口を叩く者などどこにもいない。誰もが黙々と、己に課せられた閉店作業に没頭しているのだ。もはや笑顔すら消えている。そのくらい真剣に、徹底的に業務を遂行しているであった。

 

 

わたしは若いお姉ちゃんに懇願し、アップルパイを売ってもらった。

「すぐ帰るから!ね、すぐに出ていくから!」

と、訳の分からない説得をしながら、アップルパイを抱えてフロアから逃げ出したのである。

 

いや、あれでいいのだ。

日本人は、始業時刻に厳しいが終業時刻にはルーズ。1分でも遅刻をすれば、鬼の首をとったかのように責められるのだから、であれば退社も同じくらい徹底して行うべきだろう。

そうだ、あれこそが労働時間管理のお手本なのだ。

 

Illustrated by 希鳳

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