人情派の決意

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(駅のホームまで、予想以上に遠い道のりだったな・・・)

数々の障壁を乗り越えて——中には、乗り越えることができずに屈服したりして、我々はようやく山手線のホームにたどり着いた。

 

それにしても、この世は誘惑だらけである。至る所から伸びる”魔の手”を振り切って、己の理性を保ちながら目的地へ到達することの難しさを、改めて思い知るのであった。

 

 

ダイエットを兼ねた健康維持のためにも、”砂糖を断つ”という英断を下したわたしは、あれから二週間が経過していることに気が付いた。なぜそのことを思い出したのかというと、目の前に並べられた抹茶ホワイトチョコクッキーの先に、とある友人が座っていたからだ。

どういうことかというと、ちょうど二週間前の今日、甘いものを断つと決めたわたしに対して、彼女はとっておきの芋羊羹をプレゼントしてくれたのだ。じつは、”本格的な芋羊羹”というものを食べたのはその時が初だったが、思っている以上に美味くて驚いた。

そんな芋羊羹を頬張りながら、「よし、明日から砂糖と決別だ!」と意気込んだところまではよかったが、なぜか今、目の前には大好物の抹茶にホワイトチョコが練り込まれたクッキーが置かれているではないか。

 

(・・アレ?そういえば、いつから砂糖を断つことをやめたんだ??わたしは)

 

記憶をさかのぼるも、「果物以外の甘いものは食べない」という強固な意思を、無責任にも撤回した覚えはない。ならば一体、いつからこの決意を忘れていたのだろうか——。

そういえばここ最近、抹茶のチョコやバタークッキー、ガスタのチーズケーキ、成城石井のプリンといった、決して食べてはならない砂糖の塊を密かについばんでいる気がする。

・・あれほどまでに強く誓った決意を、わたしはなぜ忘れてしまったのか。

 

だが、同じ過ちは繰り返さなければいいだけのこと。人生に失敗はつきものだし、ミスしたからといって全てが終わりではない。

よって今から——いや、このクッキーを最後に、改めて「砂糖断ち」を再開すればいいのである。

 

そう考えたわたしは、最後の晩餐(甘いもの)に舌鼓を打ちながら、友人とのおしゃべりを楽しんだ。

 

 

カフェを出て駅へ向かう途中、食欲を刺激する濃厚な匂いに足が止まった——これはカレーの匂いだ。顔を上げると、そこには牛すじ煮込みカレーとステーキ丼の店・・という看板があった。

カレーの匂いというのは、腹が減っていなくても食欲をそそるから不思議である。かく言うわたしは、毎日カレーでも飽きるどころか大喜びするであろう”カレー大好き人間”なので、美味そうなカレーを見るとついつい味見したくなるのだ。

とはいえ、ついさっきクッキーとクロワッサン、コーヒー、カフェラテで胃袋を満たしたばかりのわたしは、「カレー?私はステーキ丼がいいなぁ」と呟きながら先を歩く友人のおかげで、道草せずに駅へ向かうことができたのである。

(あぁよかった、危うく罠を踏むところだった・・)

 

駅へと続く地下道を歩いていると、左手にカラフルな洋菓子が現れた——マカロンだ。一般的に「マカロン」といえばカラフルではあるが、一つ一つが単色でまとめられていることが多い。だがここのマカロンは、マーブルや金粉など鮮やかでゴージャスな風貌のものばかり。

これはせっかくだから、一つ試してみようかな・・と心動かされそうになった瞬間、マカロンが一つ700円であることに気が付いた。

(・・いや、これは無理だ)

マカロンごとき・・などと言ってはいけないが、どうせならもっと腹にたまるものに700円を払いたい。なんせわたしは、「花より団子」を地で行くオンナなのだから。

 

こうして、マカロンの罠をすり抜けてしばらく進むと、「あっ!」と友人が声を上げた。視線の先にあるショーウィンドウを見ると、そこにはヨックモックの看板商品である「シガール」の食品サンプルが飾られてあった。

「コレコレ、この抹茶味をプレゼントしようよ思ってたのよ!」

——なるほど、たしかにそんな話を聞いたことがある。それにしても、シガールに抹茶味があるとは知らなかったし、調べたところ季節限定の様子。ならばこの機に一つ味見をしておかなければ・・と思ったが、残念ながらすでに閉店した後だった。

(名残惜しい気はするが、結果として甘い罠を回避できたわけだ)

 

こうして我々は、ついに改札の手前までやってきた。するとどこからともなく甘い香りが漂ってくるではないか。これはどう見ても危険信号である。いい匂いに釣られてつい購入してしまう・・というのはよくあるミス。しかも、それを止めるには相当な覚悟とメンタルが必要なわけで——。

だが、匂いの発信源へ駆け寄った我々は、長蛇の列の先にミニクロワッサンが山積みになっているのを確認した。

「クロワッサンかぁ、たしかに甘くていい匂いがするよね」

ついさっき、ちょうどクロワッサンを食べたばかりのわたしは、辛うじてこの罠にハマることなくその場を離れることに成功した——よしよし、この調子で改札を通過すれば、無事にホームへ到達できる。

 

勝利宣言ともいえる確信を胸に、わたしはスマホを改札機にかざした。そして、自信満々に歩を進めたところ・・わたしと友人は同時に「あーっ!」と、悲鳴に近い歓声を上げた。

ホームへ上がるための階段の手前に、なんと最後の罠が仕掛けられていた——そう、そこには手作りスコーンが売られていたのだ。

 

「おひさまスコーン」という名のその店は、「職人が一つ一つ丁寧に型抜きをすることで、ふっくらとした本格的なイングリッシュスコーンを作っている」のだそう。さらに、老舗洋菓子店での経験と叡智を詰め込んだ”秘伝のレシピ”は、言うまでもなく特別なスコーンであることを物語っている。

そして何よりも、幸か不幸かわたしの大好物である抹茶スコーンが売られているのだから、これはもう運命としか言いようがない。なぜなら、このポップアップストアは期間限定であるがゆえに、あの改札を通らなければこのスコーンと出会うこともなかったわけで、こういう一期一会を大切にするのが人情ってもんだろう——。

 

こうして、義理と人情を重んじるわたしは、抹茶とハニーメープルとアールグレイのスコーンを手に取りレジへと並んだ。すると、「4個ご購入いただくと割引になりますが、3個でよろしいですか?」と、店員が魔法の呪文を唱えたため、そそくさと抹茶を追加して会計を済ませた。

振り返ると、スコーン好きの友人はホクホクの笑顔で紙袋を抱えており、これほどまでにヒトを幸せにする白い悪魔・・すなわち、砂糖や小麦粉を悪者にすることはできまい。

 

(よし、明日から・・明日から甘いものを断つことにしよう)

 

 

強い意志と一期一会の人情、果たしてどちらが勝つのだろうか。

 

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