身辺調査における「正義」とは?

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A県警本部長の愛娘は、今年の春から大学生となり都内で一人暮らしを始めた。親元を離れ、憧れの東京で大学生活が送れることに、清々しい開放感と大きな期待でいっぱいだった。

 

そんなある日、学校へ向かう準備をしていたところ、エントランスのインターフォンが鳴った。モニターを覗くと、そこには二名の警察官の姿が映っている。

「少しだけお時間を頂戴してもよろしいでしょうか」

父親の職業柄、警察官に対して嫌悪感はないが、それでもなぜ私のところへ訪れたのか、あまりいい気分ではないわ——。

 

警察官の話によると、私の住むマンションで銃を所持している人がいるらしい。その人に関する調査なのだろうか、「マンション内で騒音や言い争いがないか」「不穏な出来事はないか」といった質問をされた。

 

(銃所持者って・・武器を持った人間がこのマンションにいるってことよね。女子大生の一人暮らしだし、怖くて夜も眠れないわ。パパに頼んで、別のマンションに引っ越そう——)

 

 

B県警本部長の愛娘は、今年の春から大学生となり都内で一人暮らしを始めた。高校の頃から射撃部で活躍をしていたため、大学へも推薦で入学するなど、将来を期待される逸材でもあった。

 

大学に入学してすぐ、所持する銃の許可期限が訪れたため、改めて所持許可申請を行うことになった私。体育協会からの推薦もあるし、四段点も撃ってるし、問題なく許可が下りるはず・・と思っていた矢先、突然、マンションの管理会社から電話があったの。

 

「あのぉ・・とても申し上げにくいのですが、居住者の方から『銃を持っている人間が、このマンションに住んでいるのか?』という問い合わせが相次いでおりまして、一人の方は、恐ろしいから引っ越すとおっしゃられてまして・・・」

 

エアピストルを所持している私は、二年に一度、所持許可の申請をしなければならない。その際に、近隣住民への身辺調査なるものが実施される。

今までは実家だったため、近所の人たちは私の活躍ぶりを喜び、団地をあげて応援してくれていた。それこそ「パリ五輪も夢じゃない!」と、みんなが私と射撃を受け入れてくれていたわ。

 

だけど、東京で一人暮らしを始めてからは、同じマンションに住む人など誰も知らないし、たまにエレベーターで一緒になってもどこの誰かは知る由もない。

もちろん、私が射撃をやっていることは誰も知らない。管理会社には予め説明してあるけど、同じマンションとはいえ赤の他人にまで、私が射撃をしていることを告知しなければならない義務はないわけで。

 

そもそも、私の両親は元ピストル射撃の選手だったため、自宅に空気けん銃が保管してあることや、毎日射撃の練習をすることに違和感はなかった。

でも、射撃というものに触れることのない一般市民からすると、それがオリンピック競技であれ何であれ、"人殺しの道具"というイメージしかないのだろう。

 

管理会社の人がどれほど説明しても、拒否反応を示す居住者は決して許容しなかった・・とのこと。このままでは、私がこのマンションから出て行かなければならないのかも——。

 

(お父さんに話して、どこか別のマンションに引っ越したほうがいいのかな。私、なにも悪いことしてないのに、なんでこんな思いをしなければならないのよ・・・)

 

 

それぞれの父親であるA・B県警本部長は、愛娘からこんな相談を受けたとしたら、いったいどのような対応をするのだろうか。

 

そもそも警察署で働く人たちは、「銃所持に関する調査です」と前置きをされて、冷静に対応できる一般人がどれほどいると思っているのか。

聞き込み調査の際には、どんな目的で行うのかを説明しなければならないそうだが(法的根拠は不明)、その"説明"の時点で調査対象者を不安にさせ、あらぬ妄想をかき立ててしまった結果、「そんな恐ろしい人間の住むマンションになど、住んでいられない」と退去してしまったら、いったい誰がどう責任をとるのだろうか。

 

これは自宅保管に限った話ではない。銃砲店にて銃器を保管している場合でも、所持許可申請あるいは更新の際に、近隣住民への身辺調査を行うこととなっている。

そのため、自宅に銃器があろうがなかろうが「射撃という恐ろしい行為を行う、危険人物が住んでいる」という、事実無根のレッテルを貼られる恐れがあるのだ。

 

そのため、神経質だったりクレーマー気質だったりする住人のところへ身辺調査をしようものなら、マンション管理会社は大変な苦労を強いられるわけだ。

「自宅には銃器を保管していないので、大丈夫ですよ」

と説明したところで、"銃"というワードにアレルギー反応を示す人間からすれば、そんなものはどこ吹く風である。

「銃を所持するような危ない人間には出て行ってもらわなきゃ、不安で夜も眠れません!」

などと言われてしまうと、もはやお手上げ状態だろう。

 

そもそも、身辺調査の目的が「(銃所持者が)トラブルを起こすような人間かどうかを確認するため」ならば、あえて「銃所持に関する調査です」などと告げる必要はないはず。

なぜなら、銃を所持していようがいまいが、トラブルを起こす人間が住んでいるかどうか・・が分かればいいだけのことだからだ。

 

そしてこの聞き方にこそ、悪意というか恣意的な何かを感じるし、誤解を招く一番の要因だと考える。

 

物事は、すべて正しく打ち明けることが"正義"ではない。もしも身辺調査をした相手が犯罪者予備軍だった場合、とんでもない情報を漏らしたことになる。

その結果、窃盗事件や殺傷事件が勃発したならば、いったい誰が責任をとってくれるというのか。もちろん警察は、

「我々は正しいことをしただけで、身辺調査の実施方法に問題はありません」

と、堂々と答えるだろう。

 

ならば、B県警本部長に問いたい。あなたの愛娘が、身辺調査による情報漏洩によって命を落としたならば、それも「正しい調査方法だった」と断言できるのかどうかを——。

 

状況は異なるが、「DV被害者の情報を秘匿するのは当然のこと」という配慮があるならば、銃器に関する取扱いについてもより慎重に行うべきだと、わたしは思う。

センシティブな内容だからこそ、何でもかんでも「正しく伝えるのが正義」ではないことくらい、いい年したオトナが分からないものなのだろうか。

 

 

よっぽどの世間知らずか、あるいは幼稚で頭でっかちな人間が考えたとしか思えない、この「偏った正義を貫く、身辺調査のやり方」について、より多くの異論や反論、意見が挙がることを期待したい。

 

Illustrated by 希鳳

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