20年目のサクラサク

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20年間、逆境に立たされ続けた男がいる。

味方など数えるほどで、表面上は友達ヅラをするも影ではすべてを否定され四面楚歌。なぜここまで頑なに拒否されるのか、悲しいほどにイバラの道を歩み続けた彼だが、ここへ来てようやく風向きが変わりつつある。

 

日本中から嫌われた男の、20年間の軌跡がここにある。

 

 

スポーツの世界において、現役選手は複雑な立ち位置にいる。

「現役中は競技に集中しろ」

どの競技でも聞かれるセリフ。しかし、何もせずとも後輩は増えるもので、先輩としてのアドバイス=指導の機会まで奪われる筋合いはない。

「アドバイス」と「指導」の違いがどこにあるのか、明確な線引きはできない。だがいかにも「弟子」を引き連れて指導者ヅラをされるのは、組織的にはいただけないもの。

 

選手は個人で活動しているようで、実は組織の一員でもある。組織の顔色を窺(うかが)わなければならず、トップで活躍するためには競技とは無関係の「この能力」が試される。

これが下手な選手は、実力があってもまず浮上できない。

「実力主義」などとキレイごとを並べたところで、所詮、政治力には勝てないのがこの世界。それすらも理解できない、あるいは受け入れられない「素人」は、トップに立てない仕組みになっている。

 

そして、この極めてシンプルなルールに従えなかったバカ者こそが、20年間忌み嫌われ続けた男・文太だ。

 

時代の流れに逆らったというか、内向的な島国気質に嫌われたというか、とにかく文太のパフォーマンスは他の選手や組織から否定された。

当時、最年少で全国制覇するなどタイトルを総ナメにした実力にもかかわらず、本人不在の場では競技について「常に全否定」される始末。これは文太自身に何か問題がある、と疑いたくもなる。

 

実際、本人の性格に難がなかったとは言い切れない。偏屈で思い込んだら一直線の性格は、対人関係でしばしば衝突を起こしたのも事実。

とはいえ、競技のパフォーマンスに関しては文太を上回る選手などおらず、そこを否定することは競技自体の成長を妨げることにもつながる。

 

「文太だからできることなんだよ」

決まり文句のように誰もが口を揃える。さらに「あいつに習うと下手になる」とまで言われた。

 

だが悲しいかな、ある意味その通りなのだ。

 

文太の競技に対する考えや動作は、凡人には理解しがたい部分もある。さらに文太の口下手も災いし、他人に伝えることが極度に苦手。そのもどかしさもあり、誤解が誤解を生んだ結果、文太のパフォーマンスは「否定される」という形で伝播していった。

 

力みのないフォームとなめらかなムーブ、それでいてスピーディー。目的と意思がガッチリ組み合った力強いパフォーマンスこそが文太の神髄。

たしかに簡単に真似できる代物ではない。

だが、動作だけでなく結果も合わせて出しているのだから、これこそが「最高傑作」といっても過言ではないだろう。とはいえ残念なことに、文太以外でこのハイレベルなパフォーマンスを再現できる人材がいなかった。

 

ワールドカップ5位入賞の後、国内でのゴタゴタもあり、世界大会への派遣が見送られて5年が過ぎた。ただしこの間も国体優勝や全日本選手権優勝を重ね、あらゆる日本記録を塗り替えた文太、現在も記録更新を続ける。

 

「なぜこれほどの実力を持ちながらも不遇な選手生活を送らされたのか」といえば、「時代と組織に嫌われた」とかっこよくまとめてもいいが、文太自身のコミュニケーション力にも多少の問題はあったように思う。

フィジカルの動きを言語化する複雑さ、そして理解させる難しさの狭間で、選手として先輩として指導者として、文太は翻弄され続けた。

 

そんな文太も、とうとう中年の域に入った。

 

アテネから狙い続けたオリンピックは東京で5回目。最終選考会で落選した文太は、またもやオリンピックの切符を逃した。

20年という長い年月を競技に費やしてきたが、自身を否定され、周囲から嫌われ、散々な競技人生だったといえる。

 

ところがここ最近、にわかに文太ファンが急増。

 

どうやら一年前に始めたYouTubeがきっかけらしい。「文太に習いたい!」という選手らが、文太の練習場所に集まり出した。中には文太のキャリア(戦績)など知らずに門を叩く人もいる。

中年の文太、若かりし頃のような尖った発言も自己中心的な態度も影をひそめる。それどころか初心者にも丁寧に、分かりやすくかみ砕いて伝える術を身につけた。

 

競技開始から20年が経過。周りは敵だらけ、自分を認める人間など数えるほどしかいなかった当時を振り返ると、現在の環境は「奇跡」としか言いようがない。

年をとることで失うものが多いなか、逆に大きな財産を手に入れた文太。今もなお日本のトップで活躍する彼は、競技力向上の点でも手に入れたものがあるのだそう。

 

「気持ちが楽になったかな」

 

結果こそすべて。自分を否定する人間は全員敵だと思い込んでいた20代と30代。だが年を重ねることで意固地なプレッシャーから解放されたのかもしれない。そして純粋に「競技を楽しむこと」を知った。

 

(目の前で起きることだけじゃない、すべてがつながっている)

 

そう気づいたとき、文太の第二の競技人生がスタートしたのだそう。笑顔が増え自然と人が集まるようになった現実こそが、彼自身の成長と充実を表しているように思う。

次なる目標はいわずもがな、パリ五輪。6度目にして切符を手にするも良し、最終予選で落選し続けるも良し、いずれにせよ華々しいキャリアの上書きとなることは間違いない。

 

頑なに己を貫き続けた結果が、20年目にして花開こうとしている。人生、諦めなければ何かが起きる。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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