「できっこない」は、誰が決めたこと?

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予防医学研究者の石川善樹さんの著書「考え続ける力」のなかで、とても感慨深い対談がある。

 

対談のお相手は、日立製作所名誉フェローであり、日本工学アカデミー上級副会長の小泉英明さん。

小泉さんは、脳科学に関する画期的な技術開発や製品化に多くの業績を持ち、なかでも、偏光ゼーマン原子吸光法の創出、f-MRIや光トポグラフィーなど、先進的な技術開発に寄与されている日本の宝だ。

 

小泉さんは日立製作所時代、MRI開発プロジェクトリーダーを務め、国内第一号機となるMRI装置を開発した。

当時、東芝も同じ技術で開発を進めていたが、日立がわずか数か月早く病院内設置をしたため、国内第一号は「日立」となったのだそう。

 

こういう裏事情を知ると、技術や特許はリアルに時間との勝負なんだと実感する。

(東芝の悔しさたるや・・)

 

 

日立製作所でさまざまな製品を開発し、社会実装してきた小泉さんは、「社会に役立つものを作りたい」という一貫した思いがある

 

その思いが形となり、一つの家族から同じ病に苦しむ人々へ希望を与えることとなった事例が、冒頭の「考え続ける力」で紹介されている。

 

さすがにこれは、私の心の琴線に触れた。

 

(以下、石川善樹「考え続ける力」より、小泉さんの発言を抜粋)

(中略)身体を動かせないALSの患者さん(いわゆる植物様状態)のために、頭の中で考えていることを測定する近赤外の装置もつくりました。

(中略)その患者さんは、ある家庭のお母さんだったのですが、お父さんも子どもたちも、彼女に意識があるとは思っていませんでした。でも脳波を取ったら、おかしくない。ちゃんと動いてるんですね。

(中略)部屋にあったピアノを弾いて右脳の音楽野や、さらに左脳の言語野の脳活動を、開発した近赤外の装置で調べたら、完全に正常な意識をもってることがわかって、私たちも家族の方々も感激したんです。

(中略)その女性はベイスターズの大ファンだったので、耳が聴こえるとは思っていなかったんですが、寂しいだろうからと、テレビをつけっぱなしにしていました。でもテレビの音はすべて彼女に聴こえていたんですね。お父さんが、ベイスターズが気になりますか、と訊くと、観測した脳の活動はすぐ、はい、と答えた。

(中略)計測が終わって、装置を全部畳んで帰ろうとしたら、お父さんが外まで走って追いかけてきて、「もう一度、妻の顔をみてやってください」と言うんです。戻ってみたら、彼女の頬が、ぼおっと紅潮してたんですよ。自律系はALSの患者さんでも妨げられていませんから、感動することはできます。

(中略)二年半ぶりに、ちゃんと意識があることを家族に知ってもらえたことがうれしくて、ぽっと紅潮されたんだと思います。

 

これほど、研究者冥利に尽きることはないだろう。

 

既存の認識や見解では諦めざるをえない現実が、見事に覆された瞬間だ。

意思を表現することのできなかった人が、物理と科学の力で思いを伝えることが可能になったのだから。

 

 

別の事例についてだが、小泉さんは、

 

誰もがこんなものはできっこない、と言っているなかで、あえてやったわけですから。

そういうのが本当の研究だと思うんですね。(「考え続ける力」p152)

 

と言う。

 

この「研究に対する考え方」は、社会生活においても人生においても共通する。

誰かに「できっこない」と言われたことは、本当にできないことなのか。

それを覆すことは不可能なのか。

 

 

かつて私は、右手人差し指の靭帯を断裂した。

そのとき医者から、

 

「日常生活は問題ないが、繊細なタッチが必要な、つまり、ピアノは無理だから、(音大受検は)あきらめたほうがいい」

 

と言われた。

 

なぜ、この赤の他人の整形外科医に私の人生を決められなければならないのか、不思議だったし、腹が立った。

 

しかし、それを聞いた親やピアノの先生は、泣いていた。

 

なぜ彼女らが泣いているのか、私にはわからなかった。

 

私のカラダは私のもので、私が「無理だ」と言ったのならまだしも、赤の他人が「無理だ」と言った言葉を鵜呑みにしてるこの人たちは、バカなのか?

 

 

それから、私は考えた。

うまく動かせない人差し指を使わずに、繊細なタッチを導き出す方法を。

ピアノの練習というより、人差し指の代わりになる演奏方法をあみ出すために、毎日鍵盤に向かった。

 

そして、ついに導き出した奏法は、

 

「関節をフル活用して弾くこと

 

だった。

 

指がダメなら手首、肘、肩、最後は体をつかって弾いてしまえばいいだけのこと。

指に頼るから、ほかの機能を忘れる。

 

私のこの不完全な人差し指の代わりに、それぞれの関節をフル活用し、音のタッチについて指摘されない演奏が可能になった。

 

だからいまだに、指を骨折してもピアノが弾ける。

痛いならその指をつかわなければいいだけのこと。

9本の指でも問題なくピアノは弾ける。

 

 

「そんなの無理だ」と思うなら、できるまで工夫すればいい。

 

あなたには無理かもしれない。

だが、私にとっては無理ではない。

 

この世のことで不可能なことなど、実はあまりないんじゃないかと思っている。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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