埼玉県朝霞市。雲一つないうだるような暑さの中、長袖長ズボンに帽子と手袋、明らかに「熱中症になりましょう」という服装の若い男女らが、微動だにせず真夏の大空へ向かって敬礼をしている。
よく見ると、彼らの服装は3色に分かれている。緑、青、グレー。
何度も何度も、白い布を広げたり持ち上げたり紐を手繰ったり。一糸乱れぬ動作を延々と繰り返している。
何をしているのかといえば、オリンピックの開会式や表彰式での「国旗掲揚の手順」を確認している自衛官の姿。
自ら志願した自衛官370名が全国から集結し、来るべき時に備えて黙々と動作を繰り返しているのだ。
緑は陸上自衛隊、青は海上自衛隊、そしてグレーは航空自衛隊。
汗だくになりながらも、指示があるまでは誰一人として姿勢を崩すことはない。
*
オリンピック開会式での大きな日の丸の掲揚に始まり、各会場で行われる表彰式のたびに、自衛官による見事な国旗掲揚が行われている。
耳を澄ますと、流れる国歌の後ろから国旗掲揚に係る号令が聞こえることもある。
そんな彼らが、国旗を持って入場するところも、美しい姿勢で整列・敬礼するところも、一糸乱れずロープを手繰り国旗を揚げていく姿も、テレビで放映されることはない。
それでも黙々と、誰かに評価されるためではなく、与えられた任務を遂行するためだけに、彼らは国旗を掲揚し続ける。
なぜ今回、国旗掲揚が自衛隊に依頼されたかというと、
「毎朝国旗を掲揚している自衛隊は、その練度が高いため」
ということらしい。
自国の象徴である国旗をその道のプロの手で掲揚されることは、メダル獲得の喜びをさらに高めるものだろう。
心を込めて、正確に、完璧に掲げられた国旗は、「美しい」以外の言葉が見つからない。
画面越しに視聴するこちらも、堂々とそびえ立つ国旗の下、毅然とした態度で直立する自衛官を誇らしく思う。
ポディウムに立つ選手は、なおさらそう感じるだろう。
想像してみてほしい。
死闘の末に手にしたオリンピックのメダル。それは国の代表として勝ち取った勝利、あるいは表彰台を意味する。
4年間、いや、これまでの人生の集大成であり労いでもある国旗掲揚を、自衛隊という国旗を扱うプロに掲揚してもらえる「名誉」を。
そんな夢のような機会は、わたしには一生巡って来ない。
わたしどころかほとんどの人が味わうことのない、オリンピックでメダル獲得という夢物語。
その貴重な一瞬に花を添えてくれるのが、国旗掲揚を行う自衛官ではないだろうか。
もう少し、そんな彼らの仕事ぶりを世の中に伝えるメディアがあってもいいのではないかと、怒りに近い感情が湧く。
開会式、日の丸を運んだエッセンシャルワーカーについては大々的に報じられた。
だが最後の最後で国旗を掲揚したのは、自衛官だった。
それについてはどこのメディアも報じていない。テレビ中継など無言でスルーした。
オリンピックから話は反れるが、昨年5月、多くの人が空へ向かってスマホを向けていた。そう、ブルーインパルスによる医療従事者への感謝飛行だ。
大のオトナが笑顔ではしゃぎながら空を見上げることなど、UFOかブルーインパルス以外にはないだろう。
果たしてそれが「税金の無駄遣い」なのだろうか。
さらには地震や豪雨、土砂崩れなどの災害時、「災害派遣」という名の任務を要請される自衛隊。多くの国民が彼ら/彼女らに助けられ、感謝していることだろう。
今どき、早朝からラッパ鳴らされ一斉起床、一日の予定がすべて決まっている監視下での生活など、その辺の一般人が耐えられるだろうか。
災害があれば家族そっちのけで任務に就かなければならず、暑いから寒いからと仕事を放棄することも許されない自衛官。
「迷彩服を見ると戦争のイメージが」
「自衛隊など旧日本軍を彷彿とさせるから、即刻廃止すべきだ」
そう煽りたがるメディアや組織は、残念ながら未だ健在。
だが、日本人が本当にそう思っているのだろうか。
少なくとも今どきの若者がそう思っているとは思えない。戦争よりも災害派遣での活躍しか知らない世代にとって、自衛隊のイメージというのは数十年前とはまるで異なるわけで。
足を引っ張るのは簡単だ。
しかし、炎天下で黙々と白い布を揚げ続ける彼ら/彼女らに注目することで、どんな「損」があるというのだ。
ありがたければ「ありがとう」、大変ならば「お疲れさま」、人として当たり前の感謝を伝えることこそが、メディアがすべきことではないのだろうか。
世界はそこまで優しくも甘くもぬるくもない。
いつか日本は取って食われる時がくる。
それを見て見ぬふりをするのが、いや、国民へ正しい情報を伝えようとしないのが、今のマスコミってやつだ。
*
なーんてね。
Photo by 陸上自衛隊フォトギャラリー(自衛隊音楽まつり)
コメントを残す