「伝説の溶接工」への険しき道

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仕事の関係で、久々に溶接工の友人と話をした。

溶接といえば、私は「伝説の溶接工」になるべく、コマツ教習所が実施する「アーク溶接等の業務に係る特別教育」を受けに行った過去がある。

 

特別教育というのは、労働安全規則第36条に定められた「特別教育を必要とする業務」に就く場合に、事業主が実施しなければならない教育のことだ。

アーク溶接も、危険又は有害な業務として列挙されているため、座学11時間と実技10時間の講習を3日かけて受講したわけだ。

 

私は本来、オフィスワークよりも現場作業で能力を発揮するタイプ。工事現場や建設現場の近くを通れば、何時間でも見とれてしまうほど、本能的に血が騒ぐのである。

さらに「ものづくり」というのは、そもそも仕事の基本である。快適な室内でパソコンをカチャカチャ叩き、大金を稼ぐようなやり方は本来ならば邪道。

暑さや寒さを直に感じ、自然と戦いながらビルや道路を建設したり修理したりすることで、やりきった感にプラスして、地図に残る仕事に携わったことになる。

 

あぁ、可能ならば今からでも「現場女子」として暗躍したい。

しかしこの熱い想いとは裏腹に、私には技術力が伴っていない。アーク溶接ひとつとっても、不揃いで美しくないビードしか引くことができないのだ。

ビードとは、溶接する際に溶けた母材がこんもりとした線状になるのだが、そのみみず腫れのような部分を指す。

 

そもそも溶接の上手い下手は、ビードを見ればわかる。

 

アパートやマンションの非常階段、ガードレールのつなぎ目、公園にある鉄棒やうんていなど、大型の鉄製器具ならばどこかしら溶接が施されているはず。

そしてほとんどの場合、金属が裸のまま設置されることはないので、表面を塗装していたり、何らかの加工がほどこされていたりする。

それでも、塗装の上からでもビードは確認できるので、金属のみみず腫れを発見したらじっくりと眺めてみてほしい。

 

下手くそな溶接工が、練習ついでに取り組んだかのような溶接は、ビードがボコボコで、かつ、スパッタと呼ばれる金属粒やカスが付着している。

しかもビードの途中に穴があいていたり、ビードが細すぎて不完全な溶接だったりと、見るに堪えない悲惨な状況となっているだろう。

 

無論、鉄棒やうんていレベルならば、多少の溶接欠陥があっても鉄同士が離れることはない。

だが巨大な建造物や乗り物、つまり、重さやスピード、圧力などに耐えなければならない設備に対する溶接においては、このような失敗は許されない。

よって下手くそは、重要な現場に立つことはできないのだ。

 

・・・と偉そうに講釈を垂れる私こそが、ど下手くそである。

そもそも超高温のアークにビビってしまい、一定の距離と速度で溶接棒を動かすことができない。強度を求めない適当な溶接ならばできるが、人の命に関わるような安全性を重視する場面では、まったくもって使い物にならない役立たずなのだ。

 

ところが友人は、私からすると信じられないほどの高度な溶接技術を持っている。

一直線に真っすぐ進むだけの「ストリンガービード」に対して、ジグザグや八の字、円を描きながら進めていく「ウィービングビード」という技法があるのだが、友人が作るウィービングビードの美しさといったら、ある種の芸術作品レベルなのである。

 

ビードが美しいだけではない。溶接箇所の内部を確認する「レントゲン検査」でも欠陥は見当たらず、サンダーなどでの手直しも不要。

そんな完璧な溶接技術を持つ友人は、まばゆい光を放つ天才といえるだろう。

 

ところが、友人よりもさらなる高度な技術と経験を持つ「神」が存在するらしい。いわゆる「伝説の溶接工」と恐れられる人々だ。

物理的に直視できない部分でも、勘と経験からきっちりと溶接してしまう技術は、まさしく神の域。たとえ国家を背負っての極秘作業だとしても、伝説の溶接工は見事にやってのけるのである。

・・・まさに、生ける伝説。カッコよすぎる。

 

最後に友人から、伝説の溶接工になるための秘訣を聞いた。

「段取りと片付けが7割。溶接が上手いだけでは半人前だよ」

なんとも心に刺さる言葉である。

行き当たりばったりで、片付けなど他人任せの私では、とてもじゃないが伝説にはなれまい。

 

まずは部屋の片づけと、明日の段取りから始めてみよう。

 

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