飴職人に、俺はなる!(来世こそは)

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生まれ変わったら、飴職人になろうーー。

 

だったら今からでも弟子入りすればいいのに、なんて野暮なことは言わないでもらいたい。来世の楽しみとして取っておきたいのだ。

 

わたし自身、特段「飴」が好きなわけではない。むしろ、ここ最近で飴など舐めた記憶がない。それゆえ、飴がどのようにつくられるのかなど、気にしたこともなければ興味を持ったことすらない。

 

そのわたしがなぜ「来世は飴職人になろう」と決めたかというと、ある一本のYouTubeがそのきっかけを与えてくれたからだ。

 

 

不眠症のわたしが、夜寝る前に必ずチェックするYouTubeがある。これを見ながら寝落ちするのがルーティーン。

 

それは「京の飴工房 岩井製菓」のチャンネルだ。

 

最初の出会いは、おススメ動画の一覧に出てきた「魅力的なサムネ」に惹かれて視聴したことによる。

抹茶好きのわたしは抹茶色を見るとフリーズする特性があり、たまたまサムネで使われていた「抹茶入水晶飴の作り方」を見た瞬間、引き込まれるかのようにクリックをした。

 

するとそこには、見たこともない不思議な世界が広がっていた。

 

飴の赤ちゃんというのは、固体ではなく液状で白っぽい琥珀色をしている。

そして焚き詰められたドロドロの飴生地を、冷却板と呼ばれるステンレスの台へ流し込むことで、飴の人生がスタートする。

 

ちなみにこの時点で飴の温度は100度以上あるので、

「うわー、キレイ〜!」

などとと寝ぼけたことを言いながら生地に触れると火傷をする。

 

飴は60度くらいで固まりはじめるため、限られた時間内で成形する必要がある。つまり温度が下がり続けるなかで、色付けや味付け、形を整える作業を終えなければならない。

また飴生地に空気が入ると白く濁る。そのため、透き通った琥珀色が売りの水晶飴などは、なるべく空気を入れないように冷やすため、放置具合が難しい。

 

デローンと伸びていく熱い飴生地。まるで地表を流れる溶岩のように、ゆっくりと重量感を蓄えたまま、冷却板の隅っこまで覆いつくす。

 

ーーう、うつくしい。

 

飴生地が己の温度と重量と質感をもって繰り広げる、禁止薬物のような魅力というか魔力というかを目の当たりにした。

 

広がりきった飴生地の端っこを持ち上げて、中央へと折りたたむ。

重そうな質感を伴いながらも、中央で重なり合った「端っこ同士」は、みるみる溶け合い一体化する。

そしてまた、溶岩のようにゆっくりと伸びていく。

 

これは何時間見ても見飽きない美しさだ。

さらに着色料が加わると、まるで新たな「個性」が目を覚ましたかのごとく、飴に独自のパーソナリティーが吹き込まれる。

 

抹茶飴、サイダー飴、ショウガ飴、イチゴミルク飴、ミカン飴、レモン塩飴。

 

なかでも見事なのは「スイカ飴」の完成度の高さだ。

飴玉など口のなかへ放り込んでしまえば、舐め終わるまでその姿を目にすることなどない。

 

だが岩井製菓のスイカ飴は、中身まで「スイカ」なのだ。

 

舌に乗せるまではちっちゃなスイカの玉。鮮やかな緑色の小玉に、しっかりと黒色の筋が入っている。

そして口の中でコロコロすること数分、スイカの皮がなくなり始めると、飴からは「皮と果肉の間の白い皮」が登場する。

 

たしかにスイカは、真っ赤な果肉と濃い緑色の外皮との間に、白っぽい薄皮部分が存在する。アレをどこまで食べるのか、いつも迷う部分だ。

ちなみにわたしは甘みがなくなるまでスイカをしゃぶりつくすタイプなので、皮の内側はいつも真っ白になる。

 

この「白っぽい皮」まで見事に再現されているのが、岩井製菓のスイカ飴だ。

 

薄皮を突破すると、残るは真っ赤なスイカの果肉でフィナーレを迎える。

 

ーーあんなちっちゃな飴玉一つに、これほどの気配りと技術がほどこされているとは。

 

京飴に限った話ではないだろうが、伝統的な飴というものは定量化できない手作業でできている。

職人の目、手、感覚を頼りに、その都度その都度状況に合わせて飴生地を育て上げていく。

 

ーーこれはどう考えても、人間の感性が必要な分野だ。逆に言えば、これこそが人間の価値をも左右する最高レベルの仕事だ!!

 

 

わたしの来世は安泰だ。

次回のターンでは立派な飴職人として、日本中を、いや世界中を震撼させることだろう。

 

その前に、岩井製菓へ就職しなければ・・・。

 

 

Photo by 岩井製菓

 

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