「食べ物をくれる人はいい人だ」
ありきたりだが、私はこの言葉に裏切られたことはない。
とくに手料理を食べさせてもらうと、私に対する本心のようなものを感じる。
食事を満足に食べられなかった時代に、食べ物を与えてくれる人は命の恩人と言われただろう。
現代においても食べ物を与えてくれる人は恩人に違いない、と私は思う。
ーー今朝、北アルプスの麓から信州の味と香りが届いた
*
昨夜の夕飯は豆腐とシラスのみ。
送られてくる手料理のために、味覚と胃袋をベストな状態に整えた。
どんな料理が届くのだろうーー
考えるだけでワクワクが止まらない。
午前10時半、待望のクール宅急便が届いた
予想以上に大きな段ボールを手渡され、またその重みに驚いた。
開けてみると上段に手料理、下段に柿がめいっぱい敷き詰められていた。
売り物ではない天然無農薬の柿たち。
どちらかというと小ぶりだが、鮮やかな橙色で美しい顔をしている。
一つ手に取ると、ヘタの部分にわずかに土が付いていた。
なつかしい信州の冬の匂いがした。
![](https://uraberica.com/wp-content/uploads/2020/11/201103a02-300x225.jpg)
さてさて。
大きなタッパーがいくつも段ボールに詰め込まれている。
ゴクリと生唾を飲み、いざ開封。
一番大きなタッパーを開けると、ゴロゴロと立派な牛肉と野菜が横たわるビーフシチューだった。
(こんな贅沢なビーフシチュー見たことないぞ)
どっしりとした重厚感あふれる具材たちに、思わず「スゲー」と呟いた。
まずはニンジンを口へ・・・
ん?
ニンジンがどれも丸い。
角のとれたまぁるいニンジン。
日本庭園に敷き詰められている石のような丸さ。
もしくは車に飾る小さな鏡もちにも似ている。
送り主に尋ねると、
「角をとって煮ると煮崩れないのよ」
なんと。
私が料理をしないことが一目瞭然。
そんな裏技があったのか、と心の料理ノートにメモをした。
次にメインの牛肉。
この肉たちは肉として誇らしいに違いない、圧巻の噛みごたえとジューシーさだ。
よくわからないが下ごしらえをちゃんとしているのだろう。
牛肉の肉らしさより、ビーフシチューの一部としての圧倒的な存在感を示している。
よくテレビCMで見るゴロゴロ野菜のシチュー、あれを思い浮かべるのは間違いだ。
あれは人間でいうところの、小学生から中学生レベルのゴロゴロ感。
こちらは、成人男性のマッチョで肉厚なゴロゴロ感。
フィジカル重視の私からすると「これぞまさにゴロゴロの代表格」という大満足のレベル。
ビーフシチューを半分食べ終えたところで、丸いタッパーの存在に気が付いた。
段ボールから取り出すと、チャプチャプと水らしき音がする。
(なんだろう)
そっと開けると野菜のピクルスだった。
長細いミニトマト、パプリカ、キュウリ、ニンジン、ダイコン、マッシュルーム。
色鮮やかな野菜たちが、お酢のプールでまったりとくつろいでいる。
ピクルスとして初めて食べたのはマッシュルーム。
意外にもお酢との相性がよく、私の好物リストに追加された。
そしていよいよ得体の知れないジップロックを残すのみ。
(これはいったい)
握った感じは太いトウモロコシ。
しかし色は茶色でタレに漬かっていた様子。
おそるおそるジップロックを開封すると、そこには立派なチャーシューが横たわっていた。
チャーシューはネット(網)のドレスをまとい堂々と寝ている。
さらにお手製のタレまで同封されており、そのタレだけでもご飯がススムお味。
いつもなら、肉を切るときはサムギョプサル用のハサミしか使わない私だが、今日ばかりはこの立派なチャーシューを味わうためにナイフとフォークを用意した。
チャーシューのドレスをはぎ取り、2センチほどの厚さに切り裂き、すばやく口へと放り込む。
ーーこ、これは
ニンニクとショウガがアクセントの甘じょっぱい特製タレが、しっとりほどよく引き締まったチャーシューを包みこむとでも言うか。
タレを付けなくても十分味のあるチャーシューだが、タレを付けることでさらなる味のフェーズへといざなわれる。
2口目からはもはやナイフもフォークも使わず、チャーシューをダイレクトに握りしめて食べた。
この立派なトウモロコシのようなチャーシューをわざわざ送ってくれた意味を考えれば、答えなど容易い。
チマチマとお上品に切り刻んで食べてもらいたいはずがない。
こうやって野生児のように歯で食いちぎりながら、ガツガツ食べてほしいという願いが込められているはずだ。
私はそのように実践した。
そしてあっという間に、太いトウモロコシサイズのチャーシューは胃袋へと消えた。
*
お口直しに柿を5つほど食べた。
食べながら考えた。
木の幹を彷彿とさせる存在感のチャーシュー。
バツグンの満足度のビーフシチュー。
食べごろサイズの大量の柿。
送り主はきっと、大型動物に餌付けをする感覚だったのではないだろうか。
動物園で「餌付けの体験」は大人気らしい。
動物がモリモリ美味しそうに食べる姿は、いつ見ても幸せを感じもっとエサをあげたい衝動に駆られる。
きっと私もそれに似ている。
過去に、500グラムのハンバーグを宅配ボックスに届けてくれた友人がいた。
大量のおにぎりを作ってくれる友人もいた。
腹いっぱいになるまでパンケーキを焼いてくれる友人もいる。
みんな決まって同じことを言う。
「食べさせがいがあるから」
私が野生動物のようにモリモリと食い尽くす姿は、見ていて気持ちがいいのだろう。
作り甲斐がある、とも言われる。
もちろん残すことなどありえない。
今日のごちそうを食べるに際し、送り主は、
「召し上がる前に15秒ほど電子レンジに入れると、脂身のところがジューシーになって美味しいと思うわ」
と、さらに美味しさを味わうためのヒントをくれた。
しかしそのメッセージを読む前に食べきってしまったため、残念ながら温かいチャーシューは堪能できなかった。
料理に関する私のモットーがある。
冷めても美味い料理こそ真のうまさ
作り手が自宅から料理を届ける場合、私が食べる頃にはどうしても冷めてしまう。
それでも美味しく食べてもらえることを願い調理している。
その心意気を感じる料理は、なぜか冷めても美味い。
生意気なことを言えば、手抜きをしていない料理は冷めてこそ細部のうまさが際立つ。
出来たてのアツアツが美味いのは、ある意味当たり前。
冷めても変わらぬ美味さ、いや、さらなる美味さの側面をみせてくれる料理こそ、本当にうまい料理だといえる。
大量の牛肉と豚肉を胃袋に詰め込んだ私は、6日後に試合を控えている。
摂取した高タンパクを筋肉に変え、勝利の形でお礼をしよう。
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