フカフカのタンとの再会が、そう遠い日ではないことを願う私

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わたしは今、おのれの浅はかさに辟易している。少し考えれば誰でも分かりそうなものだが、なぜわたしはそう思わなかったのだろうか。

まばゆいばかりのお宝を受け取ったわたしは、その瞬間に茫然自失したのである・・・。

 

 

ここ最近、肉を食べに出かけたのはいつだったか思い出せないほど、焼肉から遠ざかっていたわたしは、友人に誘われてとある焼肉店を訪れた。

星の数ほど・・というと大袈裟だが、都内には数多くの焼肉店がひしめき、ある種の焼肉天国状態といえる。さらに、誰かのオススメの店であればまず間違いなく美味いわけで、グルメサイトを見るよりも確実かつ安全に満足を手に入れられるのだ。

 

そしてわたしは、自慢じゃないが「料理しない主義」を貫いている。もちろん、やろうと思えばできるだろうし、あわよくば料理人ばりの腕前かもしれない。だが残念なことに、我が家には調理器具なるものが存在しないため、料理をしたくてもできないのだ。

そういった事情から、もっぱら食材を購入しては自宅で貪り食う・・という食生活を送っている。が、ここで一つ、我ながら食に関する意識が高い!と自負する点がある。それは「出来合いの惣菜などは買わない」ということだ。

 

いわゆるコンビニ弁当やサンドイッチには目もくれず、スーパーの青果品売り場へ赴くと、フレッシュな果物と野菜をポンポンと買い物かごへ放り込む。そして生で食べられるもの——ニンジンやキュウリ、トマトなどはそのまま齧りつき、加熱しなければならないもの——たとえばサツマイモやジャガイモ、キノコ類などは、「焼き芋メーカー」なる専門器具を使うか、レンチンすることで美味しくいただいているわけだ。

「なにか味があるといいんだけどな・・」と、稀に寂しく感じることもあるが、どうしたらいい塩梅に味付けができるのかが分からないため、いつも「美味いイメージ」を描きながらポリポリ、あるいはむしゃむしゃしている。これもまたイメージトレーニングの一端を担うことができ、どれほどの貧乏暮らしにも耐え得る忍耐力と精神力を培っているのである。

 

そんなわけで、負け惜しみではなく「美味い料理」に舌鼓を打つためには、外食するしかない。中でも「肉料理」に関しては、ほぼ間違いなく加熱処理が必要なわけで、焼き肉やすきやきは高等技術を伴う贅沢料理に分類されるわけだ。

ましてや、一人でわざわざ料理を食べに行くのも面倒なので、誰かに誘われなければ肉にありつけない・・というのが実情。そのため、焼き肉に誘われることがあれば、それがいついかなる時であっても笑顔で快諾すると決めている。

 

そして本日、満を持しての焼き肉参戦というわけで、滅多に訪れることのない街・茅場町へ降り立った。店の名前は「焼肉やっちゃん 茅場町店」。ここのウリはなんといっても「フカフカのタン」である。

牛タンというのは、しっかりとした歯ごたえが特徴とばかり思っていたが、今日、その考えを改めさせられることとなった。これならば1キロでもペロッといけそうなほど、分厚いにもかかわらずフカフカでジューシー、かつ、ごってりしていない上質なタン。イメージとしては、フカフカのパンケーキを頬張るかのような、軽さと食べやすさを兼ね備えた肉・・とでも言おうか。

 

そんな奇跡の牛タンを、なんと、手土産として持ち帰ることができるのだそう。それを知ったわたしは、密かにイメージしてみた。・・この肉ならば寝起きであっても余裕で食べられる。もちろん、夜中につまんだら最高だろう。いや、明け方にコッソリ味わうのもオツかもしれない。言うまでもなく、昼間に堂々と食べるのもアリだ——。

 

焼き肉フルコースと〆の特製カレー雑炊で胃袋を満たしたわたしは、それでもなお、あのフカフカなタンの味が忘れられなかった。あわよくば、帰りの電車で二、三個つまみ食いしてしまおうか——。

そんな妄想でニヤニヤしながら、いよいよ手土産のタンが入ったビニール袋を手渡される瞬間を迎えた。・・あぁ、どんな焼き加減なんだろう。わたしはレアが好みだが、焦げ目くっきりも大歓迎だ。

 

(・・・・・つ、冷たい)

 

そりゃそうだ。冷静に考えたら分かりそうなものだが、有頂天のわたしは「(タンが)焼かれた状態で受け取れる」と思い込んでいたのだ。

・・そんなわけないだろう。

 

 

——さてと。まずはこのタンを調理してくれるヒトを探すとするか。

 

サムネイル/焼肉やっちゃん茅場町店インスタグラム

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