ウリ科のポテンシャル

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日本人にとって、ウリといえば漬物だろう。奈良漬やぬか漬け、浅漬けにオイキムチ——要するに、漬物の王者たる地位を確立しているのが「ウリ」なのである。

その理由として、ウリ科の植物は(若干なりとも)苦味があることと、果実の歯ごたえがしっかりしていることが挙げられる。キュウリやトウガン、ゴーヤ、ズッキーニなどはどれもシャキシャキとした歯ごたえが売りで、青臭さや苦味があることから火を通すなど調理をしてから食卓に並ぶことが多い。

さらに「味付けがしやすいこと」からも、漬物としてうってつけなのだろう。酒粕やぬか、味噌などとの相性もよく、塩気と甘みの絶妙なバランスが、お茶請けとしてもご飯のお供としても重宝がられるのだ。

 

——そう、まるで漬物を食べているのではないかと錯覚するような、発酵食品ならではの酸味と刺激を舌に感じながらも、わたしはウリ科の果実を食べていたのである。その名は・・・スイカ。

 

スイカは夏を象徴する果物の王様でありながらも、ウリ科を代表する野菜でもある。そして、真っ赤な果実とジューシーな果肉には、渇いた喉と心を潤わせてくれる不思議なチカラがある。

そんな"夏の風物詩"であるスイカを、わたしは毎日摂取しているのだが、稀に他のフルーツと被ってしまった時は、申し訳ないがスイカを後回しにするわけで——。

 

 

近所のスーパーで購入したカットスイカには、当然ながら消費期限が記載されている。だがこれはあくまで目安であり、その日時を一秒でも過ぎたら食べられなくなる・・という意味ではない。もちろん食べる側の胃袋にも個体差はあるし、己の味覚と嗅覚による判断で、消費期限内であろうが超過していようが、そのスイカを口に入れるか否かを決めればいいだけのこと。

そしてわたしはいつだって、消費期限を過ぎていても平気に美味しくいただいているわけで、今回もいつも通りに消費期限を三日過ぎたカットスイカに箸を伸ばしたのであった。

 

ところが、容器のフタを開けた瞬間に、ツンと鼻を刺すような酸味を感じたのだ。「まさか、腐っているのか?」と、改めてスイカに鼻を近づけてクンクンするも、「腐っているはずがない、いや、腐っていないでくれ!」という切なる願望が後押ししたためか、さほど異常は感じなかった。

そこでまずは一つ、大き目のカットスイカを箸でつまむと、恐る恐る祈るように口へと放り込んだところ——。

(・・・うん。これは紛れもなく、ウリの漬物だ!)

明らかに発酵食品ならではの風味と、舌を刺すようなピリピリとした刺激を感じたのであった。甘みは、もはやあるのかどうかも分からないくらいに消えていた。

 

目の前に横たわる熟したカットスイカには、果物としての面影は皆無。その代わりに、漬物としての・・いや、ウリ科植物としての底力とプライドを見せつけられた気分だった。

目を閉じれば、そこには一面に広がる底抜けの青空と、緑豊かな木々が微かにそよぐ姿が浮かんでくる。そんな自然豊かな山奥にある祖母の家で、濃すぎるくらいの緑茶と作り立てのウリの漬物をつまみながら、わたしはのんびりと田舎暮らしを満喫するのであった——。

・・そんな描写が思い描けるほど、圧倒的な漬物感を出すスイカを、しぶしぶ咀嚼するのであった。

 

舌にピリピリと刺激はあるし、発酵による酸味も感じるが、それでも腐敗しているわけではない。ニンゲンだって動物の端くれゆえに、人体に有害か無害かは臭いを嗅ぎ舌で転がせば分かるはず。その結果、「まだ大丈夫」という判断を下したわたしは、発酵が腐敗へと変化する前に大急ぎでウリの漬物・・いや、カットスイカを胃袋へと流し込んだのであった。

無論、その後も体調に異常はなく至って元気である。だからこそあれは、自然発酵によるウリの漬物だったのだ・・と、改めて思うのであった。

 

スイカは果物ではない——。そんな屁理屈を、これ見よがしに主張するインテリが心底嫌いだった。なぜならスイカは歴としたフルーツの王様であり、園芸学上は野菜に分類されるが、その糖度の高さからも栄養学上は果物に分類されるわけで、素直に受け取れば誰がどう見ても「果物」なのだから。

そう思っていたのだが、その考えを本日改めることとしよう。スイカは、通常の状態ならば果物だが、発酵すると野菜のポテンシャルを発揮する・・ということを、しかと脳裏に、そして胃袋に刻んでおこう。

 

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