極上うなぎの実力は、アップルパイの存在を消滅させる

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たまに自分が「本当にバカなんじゃないか?」と思うことがある。たとえば、ランチで絶品のうなぎを食べる予定になっていても、ちょっと小腹が空いたからといって、アップルパイ——しかもホールで丸ごと食べるなど、正気の沙汰とは思えない。

これはアレだ、出掛ける直前になぜか掃除を始める現象と似ている気がする。わたしはただ単に、わが家自慢の業務用冷凍庫の中身を整理しようとしただけなのに、奥の方から半年前に放り込んだカチコチのアップルパイが出てきたことで、突如「食べたい」と思ってしまったのだ。

(あと二時間後にうなぎ・・ということは、急いで食べればイケるんじゃないか)

はっきり言って小腹は空いていない。それなのに、美味そうなアップルパイを見た途端に、脳内が"アップルパイ食べたい"で染まってしまったのだ。

 

ここで、ある程度の常識あるオトナならば、二時間後に控える極上うなぎに備えて、なにがなんでも胃袋を休ませるべき・・となるだろう。なぜなら、冷凍アップルパイなんてものはうなぎの後でも食べられるし、もっと言うと「今日食べなければならない必要性」などどこにもないのだから。

それなのに、わたしの脳はどうかしているのだ。あえて食べる必要のない・・というか、食べるべきではないタイミングでホールのアップルパイに手を出そうとしているわけで。やめろ、やめるんだ——。

 

チンッ!

 

電子レンジからリンゴの甘い香りが漂ってきた。長期間冷凍保存していたので、パイ生地もシットリと変化しているはず。つまりこれは、わたしの大好物な状態に仕上がっている・・ということだ。

しっとりと濡れた熱々のアップルパイに齧りつく——アツッ!!

焼きたてのケーキやクッキーを頬張るとき、猫舌のわたしは至福の拷問を受ける。どういうことかというと、"焼きたて"は生地が乾燥していないので、わたしが最も好むテクスチャーとなっており、そんな"わずかな至福の時"を逃すまいと、口内と舌を犠牲にしてでも熱々のパイ生地に齧りつくのである。

 

こうしてわたしは、半年前のアップルパイ(ホール)を平らげた。

 

 

——これでもし、うなぎを残すようなことがあれば一巻の終わりだ。なぜなら、リアル美食家の知人が、わたしに食べさせようとわざわざ予約してくれた店で、なんならわたしが「うなぎが食べたい」と言ったわけで、以前から"今日のランチはうなぎ"と決まっていたにもかかわらず、「さっきアップルパイを食べたので、満腹で食べられません」などという裏切り行為が許されるはずもないからだ。

それよりになにより、わたしがこの店のうな重を食べたい・・というか食べてみたいのだ。都内でオススメのうなぎ店を聞かれても、残念ながら一つも名前を挙げることのできない現状では、"大食漢美食家"の名が廃る。よって、今日こそけじめをつけるのだ。うなぎといえばここ!——そんなうな重であってくれ。

 

(・・ヤバい、めちゃくちゃ美味いぞ!!!)

アップルパイを食べたことなど口が裂けても言えないわたしは、やや緊張しながらうなぎを口へと運んだ。おまけに、うなぎの下に鎮座する白米のクッションは「大盛り」というわけで、ここはフードファイターのプライドにかけても、圧巻の食べっぷりを見せなければ——などと余計なプレッシャーを感じていたところ、とんでもない肩透かしをくらった。

ニンゲンというのは、欲望に正直な生き物である。そのため、満腹だろうがなんだろうが、美味いものを目の前にすれば箸はどんどん進むのだ。そしてこのうなぎ、控えめに言っても都内一である。空腹じゃないにもかかわらず、わたしは会話もそこそこに一心不乱にうなぎに喰らいついた。・・それほどまでに美味かったのだ。

 

この店の名は「和多遍(わたべ)」。昭和23年創業の老舗うなぎ専門店ゆえに、うなぎ問屋に目利きをしてもらい仕入れたうなぎは、サイズも大きく脂がのった分厚い個体ばかり。それだけでも間違いなく美味いというのに、プラスして「蒸したてを焼き上げる」という独自の調理方法で、他の追随を許さない圧倒的な味と食感を作り上げているのだ。

ちなみに、一般的なうなぎ店ではうなぎを蒸して置いておく"蒸し置き"という手段を用いている。これならば提供までの時間短縮が図れることから、注文後にそれほど待たずともうなぎにありつける。

ところが「わたべ」では、蒸したてホヤホヤのうなぎを備長炭で焼くことから、注文してから30分はおあずけをくらうこととなる。だがこの"おあずけ"こそが、期待を膨らませると同時に胃袋を刺激するちょうどいいスパイスとなるのだ。

 

そして、満を持して目の前に置かれた重箱のフタを持ち上げると、そこには分厚いうなぎがギッシリと敷き詰められており、「あれ?米はどこへいった?」というくらいにうなぎしか視認できない贅沢さ——。

とりあえずわたしは、ふっくらとしたうなぎを箸で切り分けると、すぐさま口へと放り込んだ——ふわふわなのにしっかりとした焼き加減が、絶妙なハーモニーを生み出している。

おまけに、うなぎに塗られたタレがこれまた絶品。創業当時から使われている関東風のタレを、70余年もの間つぎ足しながら繋いだ伝統と味加減は、到底真似できないコクと旨味を放っている。

 

それだけじゃない。うなぎを支える縁の下の力持ち的存在の白米も、それだけで十分美味いではないか。白米だけをおかわりしたいくらいにふっくらもっちりとした食感は、"白米大使"を自認するわたしを唸らせた。

(これはヤバイ。語彙力のなさもヤバイが、この店は秘密にしておきたい・・・)

われわれが入店した時点で、店内は満席。当然ながら予約必須の人気店であり、それに見合うだけの価値がある。だからこそ、これ以上混雑されては困るのだ。あぁ、皆さんどうか内密に願います——。

 

 

振り返ってみれば、アップルパイを食べたことなど微塵も影響しないくらい、うなぎが抜群に美味かった。ただそれだけである。

 

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