久々のこの頭痛。
変わり映えのしない毎日に飽き飽きしてくるころ、この頭痛はやってくるし、その度に海外の空気を吸いに日本を離れた。
そう、海外へ脱出する合図だ。
海外へ行くといっても、そこで何かするわけでも目的があるわけでもない。
ただふらりと現地の空気が吸いたいだけ。
通貨以外の事前準備はせず、ほんとうに手ぶらでフラッと。
だが今はそれが叶わない。
ーーコロナめ
とりあえず、東南アジアへふらりと紛れ込みたい気分の私は、清澄白河へと向かうことにした。
*
15時すぎ、財布を肩から掛け「ARiSE COFFEE ROASTERS(アライズ コーヒー ロースターズ)」を訪れる。
ここは異国の地。
日本にいながらにして東南アジアを味わいたいのならば、ここしかない。
人間の嗅覚というのは記憶と感情に直結している。
目で見たものはやがて色あせるが、リアルな匂いは鮮明に記憶をよみがえらせる。
それほど、我々の情緒や行動に多大な影響を及ぼす「匂い」という感覚をもって海外を味わうことができるのが、このコーヒー屋だ。
2週間ぶりにヒッピー、いや、オーナーの林とあいさつを交わす。
彼と会うだけで日本を忘れるから不思議。
「ちょっと待ってくださいね」
そう言いながら、氷で一杯になったグラスへダイレクトにドリップをする。
急冷でアイスコーヒーを作っているのだ。
この店のコーヒーは比較的味がハッキリしていて、コーヒー粉をふんだんに使うのが特徴。
ーーきっとアイスコーヒーも美味いだろうな
一杯目はアイスでもいいかな、などと考えていると、不意に林が声を掛ける。
「今日はどれにします?」
そう聞かれると、さっきの人と同じアイスコーヒーを、とは言いづらい。
しかも私は東南アジアをふらっと訪れた心づもりのため、これといって明確な味の方向性はない。
すると、
「前回カンボジアとコロンビアだったから、今日はこのあたりどうですか?」
2週間も前の私のオーダーを覚えているとは、さすがは焙煎士。
お勧めの3種類から、まずはフィリピンを選択。
この豆は日本国内では彼しか仕入れていないのだそう。
「はい、どうぞー」
ワンコインと引き換えに淹れたてのコーヒーを受け取る。
この店には、立派な飲食スペースというものは存在しない。
店舗の外と入り口の右側にベンチが、そして入り口の左側に適当なソファと丸椅子があるだけ。
店内が混み合えば立ち飲みとなる。
それでも入れ替わり立ち替わり、ひっきりなしに客が来る。
その大半が顔見知りの様子。
地元住民も多いのだろうが、年齢も職業もてんでバラバラな人間が集い、銘々にしゃべり始める。
まぁ私など見るからによそ者で無職のフリーターだが、どこかしらに共通点はあるもの。
林が常連の一人に私を紹介する。
「彼女、赤坂で格闘技やってるんですよ」
どうやら今この空間にいる人たちは、赤坂の飲食店つながりらしい。
「へー、そうなんだ!●●さん知ってる?」
瞬く間に会話が広がり、最終的に一人の知人でつながったりする。
これぞまさに海外あるある。
ーーコーヒーについて
フィリピン(詳細は失念)の豆は、どことなく動物的な風味で身の詰まった堆肥のような印象。
堆肥とは失礼な、と目くじらを立てるなかれ。
ワインの表現では、
「猫のオシッコ」
「腐葉土」
「灯油」
といったありえないたとえをするわけで、「堆肥」などかなり上位の誉め言葉といえる。
そんな独特な香りと味わいの「フィリピン」を一気に飲み干すと、次は「中国」へと足を伸ばす。
中国は雲南省の豆。
こちらはなんというか、スモーキーでソリッドな味。
日本語で言うと、煙ったような硬質な味。
香りはストレートなコーヒーだが、苦みや渋みを感じる未満のロースト感と、サラッとしつつも飲みごたえのある風味が、軽い頭痛の私にフィットする。
ふと見上げる先には、戦車の形ををした笠間焼の花器。
これは、若手陶芸家・砂山ちひろと窯元の名門・高野陶房による、アニメの劇中に登場する「戦車型花器」を再現した逸品。
そして店の奥には、バンコク最大のウィークエンドマーケットで購入したスカルのオブジェ。
ほかにもワニやら虫やら先住民族の顔やら、日本ではお目にかかれそうにない置き物をまじまじと眺めながら、鼻と口とで丁寧に「雲南省」を転がす。
時刻は16時半。
中国からフィリピンまで、嗅覚と味覚をもって広くアジアを堪能した私。
懐かしくも新鮮なひとときを提供してもらったことに感謝しつつ、帰国の途につく。
そしてあの頭痛も、いつの間にやらおさまったようだ。
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