たまたま訪れた場所で、たまたまいい雰囲気のカフェを見つけたりすると、ものすごく得をした気分になるわたし。この現象になんらかの呼び名をつけたいくらい、この上ない幸せを感じるのだから極めて単純である。
しかも、オシャレカフェというよりいわゆる喫茶店のような、昭和の雰囲気漂う珈琲の店だったりするとなおさら。よって、そのような店を偶然見つけられた日は一日中ウキウキ過ごせるわけで——。
というくらい、わたしはコーヒーを愛しているのであった。
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かつて、社労士事務所を開業して間もない頃、家賃すら払うことができずに5つのアルバイトを掛け持ちしていたが、そのうちの一つが近所のカフェだった。こだわりの個人店ではなく大手チェーンではあるが、コーヒー好きのわたしからすると「コーヒー豆の匂いの中で働けて、なんてラッキーなんだ」と、時給以上の価値を感じていた。
そこでの仕事は、主にエスプレッソマシンを使ってのドリンクの提供だったので、蒸気によるスチームミルクとエスプレッソを混ぜ合わせた、いわゆる”カフェラテ”を作る機会が多かった。そのため、どんなカフェへ出向こうが、必ず一杯はラテ系を注文することで、その店のバリスタの腕前をおよそ知ることができるようになった。
もちろん、一日の始まりを告げる”ドリップコーヒー”の存在も欠かせない。だが、エスプレッソとは違って挽き豆をドリップマシンにセットすれば、あとは自動的にコーヒーが完成する流れだったため、個人的な技術を身に着ける必要はなかった。
だからこそ、ドリップコーヒーを上手に淹れられる人を、尊敬して止まないのである。しかも、勝手な区切りではあるが、コーヒーといえばエスプレッソ、珈琲といえばドリップコーヒー・・という感じで、ドリップコーヒーを「珈琲」と呼ぶのが、わたしの小さなこだわりだったりするのだ。
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所用で訪れた浅草橋で、友人との待ち合わせ場所に選んだカフェの名は「nano-coffeeroaster/ナノコーヒーロースター」という小さな珈琲店。エチオピア産のコーヒー豆を販売する傍ら、自前の焙煎機でローストした豆で美味しい珈琲を提供してくれる、焙煎所兼カフェである。
オーナーの春日さんは、珈琲の業界に身を置くこと25年のキャリアを持つ、焙煎士かつコーヒー愛好家。——それにしても、たまたま見つけたカフェでこのような人物と出会えたことに、己の幸運を称えずにはいられない。
個人的なドリップコーヒーのこだわりとして、豆云々の他に「器」と「店の雰囲気」そして「淹れる人」によって、その一杯が変わる・・という信念がわたしにはある。
——ちょっと想像してみてほしい。高級な豆で作ったコーヒーを、薬品臭が漂う室内にて紙コップで差し出されたら、さすがに高級感も美味さも感じられないだろう。
(おっと・・いま書きながら思ったことだが、仮に、刑務所の中で安いコーヒーを紙コップで出されとしたら、しかもそれが熱々だったりしたら、それはそれで至福の時となるだろう。故にコーヒーというのは、美味さ以上に”その瞬間の価値”を高めるポテンシャルがあるわけだ)
——話を戻そう。そのため、ドリップコーヒーを楽しむ際には、コーヒーを湛(たた)える器の存在を無視できない。無論、それが洒落ている必要はないのだが、こだわりの陶器だったり素敵なデザインだったりすると、それだけで一杯の価値が高まるのは間違いない。
目で見て良し、香りを楽しんで良し。そして、舌で転がし喉の奥へと流し込み、残り香を味わうも良し。これこそが珈琲の醍醐味というやつである。
加えて、店の雰囲気が優れていることと、淹れる人の人柄・・という要素も、珈琲を変える大きなチカラとなる。
店の雰囲気については、わたし個人の好みというよりは、その店に携わる人々のこだわりや想いが現れていることが重要。やはり、「相手のことをもっと知りたい」と思えば、少しでもその要素に触れたいと思うもの。そういう意味からも、その店らしい雰囲気に浸ることで幸せな気持ちになれるのである。
加えて、淹れる人によって珈琲の風味が変わる・・という事実も忘れてはならない。われわれが人間である以上、ヒトから得る感情や感覚によって物事が大きく左右されるわけだが、それは良くも悪くも相手次第であり、たかが一杯の珈琲だったとしても想像以上に影響を与えるものなのだ。
——このような面倒かつ些細なこだわりを、春日さんの珈琲はクリアしていた。
今回わたしが選んだのは、フルボディで深煎りの「バンコ・ゴティティ/Banko”Gothithi”」と、ワイニーでフルーツ感満載の「ハロ ベリティ/Halo Beriti」の二種類。いずれも、豆の香りが高く珈琲になるとまた別の顔を覗かせるという、面白いキャラクターの持ち主。
この勢いでメニューにある珈琲をすべて味わってみたかったが、浅草橋へやって来た本来の目的である予定時刻が迫っていたため、本日は二杯でお暇することに——。
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台東区を訪れる機会は少ないが、ここの珈琲を飲むためにわざわざ足を運ぶのは——「あり」だろう。
一杯のコーヒーで幸せになれるという、至極単純なわたしではあるが、その幸せを与えてもらうべく近々再訪を目論むのであった。
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