真夜中のラーメンに必要な三条件

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「かおたん行きますか」

夜中の1時半に友人からメッセージが届く。夜型かつ短時間睡眠族の我々は、まさにここからエンジン全開!となるため、この時間からの食事というのも不思議ではない。

とはいえ、足立区に住む友人が「かおたん」のある南青山まで移動するのに30分はかかるだろうから、ラーメンを食べるのは2時を過ぎるというわけだ。おっと、「かおたん」とは「かおたんラーメンえんとつ屋」のことである。

 

青山霊園の入り口(?)に位置する、今どきお目にかかることも困難なほど、年季の入ったボロ家が目印のかおたんラーメン。

しかし、南青山の一等地であり西麻布からもすぐという好立地で、これほど見事な古い家屋は逆に珍しい。数々の台風や地震を乗り越えて今もなお現役を貫くこの店舗は、文化財として保護される日も近いのかもしれない。

 

そして2時過ぎ——。やって来ました、久しぶりのかおたんラーメンえんとつ屋。

前回ここを訪れたのは数年前、外観は相変わらずのボロさなのに内装が少し小綺麗になった気がする。いや違う、エアコンが新しくなったか?

 

ちなみに、わたしが「真夜中のラーメン」に求める条件といえば、「狭さ・小汚さ・シンプルさ」の三拍子である。

 

「狭さ」はいわずもがな、店舗が狭くて雑然としていることだ。飲食店ならば、広くて開放的な空間が好まれるだろうが、夜中のラーメンとなると話は違う。

さらに昼間であっても、広々とした店内に洒落たインテリアで統一されたラーメン店など、ラーメン店としては認められない。こじんまりとした狭い店内で、見知らぬ客同士が互いの肘に気を使いながら麺を啜ることこそが、ラーメン店(とくに真夜中)に必要な要素なのである。

 

そして「小汚さ」について。やや意外に思われるかもしれないが、先に述べた通り「小綺麗で明るい店内」ではラーメンの情緒が乱れてしまう。しかも夜中となると、味よりも雰囲気が重視されるため、ある程度の汚さが必須となるのだ。

念のため注意しておくが、求めているのは「小汚さ」であり「不潔さ」ではない。この二つの違いを挙げるならば、「小汚い」は物理的な古さや経年劣化による汚れなど、抗うことのできない汚さを指す。だが「不潔」は、読んで字のごとく清潔ではないということなので、飲食店においては致命傷となる。

このような「小汚さ」の演出により、真夜中のラーメン店は深夜の名店として語り継がれるのである。

 

最後に「シンプルさ」だが、これは店舗の内装や雰囲気の話ではなく、ラーメン自体についての言及だ。

昼間のラーメンならば多少ごたごたしていても問題ないが、夜中に食べるラーメンというのはシンプルでなければならない。そのため、メニュー表に記載するのは「ラーメン」「餃子」「ビール」あたりで十分。

許せる範囲としては、チャーシュー麺かネギラーメンくらいだろう。あとはトッピングで味付け卵やもやしを追加すれば、自分オリジナルの「真夜中ラーメン」の完成である。

 

なおスープの味は、シンプルな醤油か鳥ガラがベスト。さらに具材は、メンマとチャーシューの最小限コンビで十分。場合によっては、胃袋の状況に合わせてチャーシューを増やしたり、煮卵を追加したりすればいいだろう。

こうして、口の中に広がるシンプルなスープとやや硬めの細麺とのコンビが、真夜中の胃袋を満たしてくれるのである。

 

 

改めるまでもないが、これら三つの条件を満たしたラーメン店というのが、ここ「かおたんラーメンえんとつ屋」なのだ。

ほかの店では味わうことのできない、狭さ・小汚さ・シンプルさがここにはある。さらに午前5時まで営業しているため、終電を逃そうが深夜残業中であろうが、どんなに遅い時間であってもかおたんは待っていてくれるのだ。

 

食べ物の美味しさというのは、店の雰囲気や一緒にいる人間に左右されるもの。純粋に味だけで「記憶に残る美味さ」というのは、存在しえないのではないかと個人的には思っている。そのくらい、人間は五感を使って食を楽しんでいるからだ。

そして、五感にプラスして「真夜中のラーメン」という限定的なシチュエーションも、別の意味で「至高の美味さ」であることを忘れてはならない。

 

・・そうこうするうちに朝の5時となった。外は十分明るいし、蝉がけたたましく鳴き叫んでいる。——もう立派な朝だ。

やはり真夜中には、真夜中なりの楽しさと満足が潜んでいるのである。

 

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