終電を逃すときというのは、そのほとんどが”くだらない話”で盛り上がっているもの。
学生時代を思い出してもそうだが、決して「時間を忘れるほど熱く議論を交わすうちに、いつしか翌日になっていた」なんてことはあり得ない。そもそも、真面目な話をするときは脳みそもロジカルかつ冷静であるため、現在時刻を念頭に置きつつ話を進めている。
そして、ニンゲンというのは元来真面目な性根であることから、通常モードならば自分がピンチに陥るようなことは無意識に・・いや、意識的に回避するようにできている。
ところが、かなりどうでもいいバカ話や、中身のないくだらない話というのは、脳みそもバカになるため通常モードから休息モードに切り替わってしまうのだ。
そして、時間を忘れてただひたすら笑った結果、気付けば終電はとっくに出ているのである——。
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(まずい・・ここから自宅まで、タクシーだといくらかかるんだろう)
池袋で終電を逃したわたしは、帰宅までの道のりをいくつか考えた。だがどれも痛い出費であり、それなら始発までネカフェかカラオケで過ごすほうがマシな気がする。
(いや、ダメだ・・ドウギを洗濯しないと)
——そう、わたしはグッショリ汗まみれのドウギを背負っており、これを放置することはできない。ということは、まずはコインランドリーを探すところから始めなければならない。
だったら、タクシーで帰宅するほうがいいんじゃないか?池袋から白金まで、深夜料金を含めると五千円は超えるだろう。仮に六千円だったとして、ネカフェやカラオケで始発・・つまり午前4時半くらいまで時間をつぶすとして、しかも金曜日の夜は週末なので割増料金のはず。となると、ドリンク含めて四千円はするだろうから、そこへコインランドリーの千円、さらに乾燥機も入れると五百円プラスされて、合計金額はさほど変わらない。
だとしたら、多少高くてもタクシーで自宅まで運んでもらい、自宅で洗濯をしつつ仕事でもするほうが、よっぽど有意義な時間を過ごせるだろう。なんせ、まぶしい朝日を浴びながら帰宅する虚しさといったら、言葉にできない無力感に加えて、今日一日を無駄にすることが確定した絶望に打ちひしがれるわけで、そんな報われない気持ちで爽やかな朝を迎えたくはないからだ。
(痛い出費ではあるが、それよりも胸を張って朝日を受け入れたいじゃないか。これこそが健全なニンゲンの思考というものよ)
——そう覚悟を決めたわたしは、再び「くだらない話」に参戦した。終電間際は密かにソワソワしていたが、もはやその呪縛からも解き放たれたわけで、こうなったら開き直ってバカ話に浸ることができる。
それにしても、さっきから本当にくだらない話しかしていないではないか・・・なになに、小学二年生の頃に近所の酒屋から空のビール瓶をくすねて、隣町の酒屋で売りさばいていたが、1ダース300円を自転車の前後にくくりつけて運んだので、一回で600円の稼ぎとなり、それを一日10往復以上していたので、月収20万円近く稼いでいた・・だと?! そんな荒稼ぎ、令和の現在ではあり得ない手法である。しかも・・小学二年生で???——くだらないというか、とんでもない話じゃないか。
幼い頃から”カネの稼ぎ方”を体得していた友人は、今でもしっかり稼ぎをあげている。それみたことか!歯車の一部を養成するための学校教育なんかよりも、実体験による社会勉強のほうが遥かに大事で、将来の人格形成にも役立っているじゃないか。
そうこうするうちに夜も更けてきたので、「そろそろ帰ろうか」とお開きの合図を送るわたし。ほかの二人も電車で来ているはずだが、一人は近所に住んでいるので散歩がてら歩いて帰るだろう。ならば、もう一人はどうするのだろうか——。
「あ、車だから送るよ」
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小学二年の頃から荒稼ぎしていた友人は、やはり先を見据えた行動がとれるオトコだった。どこかの誰かさんのように、終電に怯えて終電に振り回されて、最終的には終電に開き直るような無駄は、決してしないのである。ありがたやありがたや・・・。
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