第二関節から先が逆を向いた恐怖を払拭する超回復

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月曜日の夜、ブラジリアン柔術の練習中に右手の薬指と中指が、第二関節を境に逆へ曲がるという、思い出すだけでも身の毛がよだつ恐ろしいアクシデントに見舞われたわたし。もちろん、自爆による負傷なので相手に罪はない。だが、指が逆に曲がった瞬間の異常な感覚は、三日経った今でも生々しく残っているから堪(たま)らない。

(・・要するに、あれは亜脱臼だったのだろうか)

いわゆる「スワンネック変形」のような形状になった指を、逆の手で瞬間的に握りしめて元に戻した記憶がある。とはいえ、その瞬間を見てはいない(恐ろしくて見られない)し、「あ、やったなこれ」と脳が把握するよりも先に左手が動いたわけで、ニンゲンが持つ危機察知能力(?)も捨てたもんじゃない・・と、今さらながら感心するのであった。

 

そして第二関節の内側は、見事な内出血と腫脹により紫色に腫れ上がっている。動かすと痛いどころか、とてもじゃないがそんなことができるレベルではないので、ただひたすら湿布を巻いた二本の指をギュッと握りしめるわたし。

さらに、湿布の上から指用テーピングでグルグル巻きにして、とにかく指がびくともしないように固めまくったのだが、こうなると不便なのは「顔を洗う時」である。負傷した右手は使わずに左手のみで生活するとなると、普段ならば両手を使う行為が壊滅的に難しくなるわけだが、その典型が「洗顔」だった。

(とはいえ、たいして顔も洗わないんだから、そこまで大騒ぎする必要もないだろう・・)

 

ちなみに、パソコンのタイピングは問題なくこなせることが分かった。なぜなら、わが家のキーボードは人間工学に基づいた快適な設計であり、かつ、指で押すというより撫でる程度で文字入力が可能なため、第二関節を亜脱臼した直後でも苦痛に悶えることなくタイピングが可能なのだ。

そんなことからも、仕事に支障をきたすことなく指の回復を待つことができるわけで、顔面が薄汚いこと以外はさほど日常生活に困ることはなかった。だが一つだけ、非情に困る動作が——そう、ピアノである。

 

今月末、とある友人のために人生初のミニリサイタルを開催する予定のわたしは、過去にさらった曲をかき集めて必死に練習を繰り返していた。

どれも初見ではないので、弾いているうちに思い出すだろう・・などと軽く考えていたところへ、運悪くこの怪我である。ちょっと弾くことすら困難となった今、人生初のリサイタルの雲行きが怪しくなってきたわけだ。

(これはマズいな。スタジオも押さえてあるっていうのに、指が痛くて弾けません・・はさすがにナイだろう——)

それでも持ち前のアイデア力で、打鍵しても痛くない角度や指の動かし方を編み出したわたしは、だましだまし鍵盤に触れられるようになった——よし、だましだまし弾き切ればいいんじゃないか?

 

たった一人に聴いてもらうための、特別な想いを込めたリサイタルだというのに、「だましだまし弾けばいい」などと考える自分が恐ろしい。かといって日程変更は許されないため、とりあえずどうにかして痛みが和らぐこと・・いや、痛みを恐れる気持ちが消えることを祈るのみ。

(あぁ、なんでこんな時に指をやっちゃったんだろ・・・)

どんなにボヤいても後の祭り。今はただ、超回復を祈るしかないのである——。

 

 

(・・・ん? なんとなく弾けるかも)

そして今日、グルグル巻きの湿布とテーピングを剥ぐと、紫キャベツ色をした薬指と中指を蔑んだ目で見ながら、軽く鍵盤に置いてみた。とりあえず、なんとなくでいいから弾くことができれば、月末のリサイタルに間に合う気がする。

そんな軽いノリで、最も優しそうな曲である「トロイメライ」を弾いてみたところ——ヤバい、わりと弾けるぞこれ。

 

受傷からまだ丸三日だというのに、指の内部はかなり回復している気がする。なんなら、先週の金曜日に負傷した左手小指のほうが、打鍵の瞬間に激痛が走るわけで・・・。

とはいえ、「さほど痛くない」と分かればこちらのものだ。月曜の夜、第二関節から先が天井を向いた恐怖など忘れ去り、細心の注意を払いつつどうにか全曲弾ききることに成功したのである。

 

(表面上を取り繕うことと、それっぽく誤魔化すことに長けたわたしならば、打鍵さえできればもはや治ったも同然・・・よし、イケる!!)

 

 

こうして、唯一の取り柄である「圧倒的な超回復」をみせつけた、深夜1時の出来事であった。

 

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