ピアノを再開して一年半が過ぎるが、どういうわけか指がまったく戻らない。
ーー幼少期から学生時代にかけてが天才だったのか?
いやいや、ぜったいに違う。
だがどうも腑に落ちない。そりゃ今だって毎日みっちり練習しているわけではないが、それなりに「ヤバい」と思えば鍵盤の蓋を開けている。
しかもわたしの部屋にあるピアノには、サイレンサーという画期的な基盤が取り付けてあり、夜中だろうが窓全開だろうが、音量を気にすることなく練習できる。
サイレンサーを付けたことによりヘッドフォンを通じて音を聞くため、ご近所さんへ迷惑をかける心配もないのだ。
一つだけ失敗したことといえば、サイレンサーの金額を10万円ほどケチったことか。
高いサイレンサーは音量がリアルに再現されるので、ピアニッシモ(弱弱)からフォルティッシモ(強強)まで、満遍なく弾き分けられる。
だがケチったソレは、強と弱しか選択肢がない。
自分の中では10段階くらい弾き分けているつもりが、聞こえる音量は強弱の2種類しかないわけで、レッスン当日に先生のピアノを弾くといつも驚く。
「ちょっと、やり直してもいいですか?」
「どうぞ」
「も、もう一回、やり直してもいいですか?」
「どうぞ」
レッスンの度に何度も弾き直しを要求する。
だって、聞こえてくる音が明らかに違うんだよーー。
時には限界に挑戦してみようと、出るはずのないピアニッシモ(弱弱)にチャレンジすることも。
そっと鍵盤を押してみる。もっと、そおっと押し込んでみる。
ーーううむ。音が出ない。
相手は「強弱」しか選択肢のない機械のため、人間の感情など伝わらない。
音が出ないか、小さな音が出るか大きな音が出るか。
それ以来、ヘッドフォンから聞こえる音量は当てにしないことにした。
どうせ「パワフルな演奏だ」とか嫌味を言われるんだから、だったらすべて最弱で弾いてやろう。そうすればデカい音くらいいつでも出せるだろうから。
しかしそう上手くいくものでもなく、毎回毎回、
「小学生の男の子みたいな弾き方ね~」
と、最高の嫌味を言われて終わる。挙句の果てには、
「音にはカースト制が存在するのよ。弾き分けなければ殺されるわよ」
と脅される始末。
音量のコントロールについてもそうだが、何よりも「指が動かないこと」が最大の悩み。こんなはずじゃない、こんなはずじゃーー。
一年半前、ピアノを再開した当初は「半年もすれば戻るだろう」と安易に考えていた。しかし半年過ぎても、一年過ぎても元に戻らないどころか停滞し続けた。
そして一年半経った今も、足踏み状態は変わらず。
柔術の影響が少なからずあることは理解しているが、それでもどうにかする自信があった。なのにどうして、どうにもならないのだろう。
ある日、たまらず先生にこう漏らした。
「こんな曲、昔はラクに弾けたんだけどな」
すると先生は表情も変えずにこう答えた。
「勘違いじゃない?」
この返事には度肝を抜かれた。
確かに今のわたしの演奏からは、この曲が「昔はラクに弾けていた」とは信じがたい。
わたしが嘘をついているとしか思えない。
とてもショックだ。
だが、もしかすると本当に勘違いなのかもしれない。あの当時もさほど上手くは弾けていないが、記憶が美化されて、上手く弾いていた気になっているのかもしれない。
「あー、勘違いだったのかなぁ」
遠い目で呟くわたしに向かって、先生がこう返す。
「でもいいじゃない。過去に上手く弾けてた時があるのなら」
そんなことはない。いま弾けなければ意味がない。
「生徒さんの中でちゃんと弾ける人なんて、ほぼいないわ。むしろ、一人もいないかもしれないわね」
返す言葉が見つからなかった。
ーーどんなうぬぼれだよ、わたし。
「一生、上手く弾けないまま死んでいく人がほとんどなんだから、過去に上手く弾けたことがあるだけでも幸せなことよ」
そう言いながら、ベートーヴェンの変奏曲にハナマルをもらう。絶対にハナマルなんかもらえるはずのない演奏なのに、あと2年かかったって合格ラインに到達することはないのに、今のわたしにはこれが精一杯ということか。
そして新たにシューベルトの変奏曲を渡された。今は苦手な曲をどんどん弾いていきましょうね、と。
ふと、友人との会話が浮かぶ。
「最近、急いで仕事するから抜けが出るんだよね」
わたしは不思議に思い、こう質問した。
「なんで急ぐと抜けるの?」
友人は、え?と言いながら答えに窮する。
「急ぐことと抜けることの関係性がわからない。急ぐにはギアを上げればいいんじゃないの?」
畳みかけるように尋ねる。だってそうだろう、急ぐから抜けるのはおかしい。工程を飛ばすことは手を抜くことであり、スピードを上げることとは違うからだ。
今のわたしのピアノが正にこれだ。工程が抜けている。
ーー昔はちゃんと弾きこなしていたのかな。ギアを上げることで正確に弾いていたのかな。
今となっては確認のしようもない。
だが願わくば、手を抜くことなくギアを上げていたのだと信じたい。
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