予選11位

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わたしは今日、健康美の日本一を決める大会である「ベストボディ・ジャパン2022日本大会」を観戦するべく、両国国技館を訪れた。

幸運なことに友人が数名、地方大会を突破して日本大会へ上り詰めたため、その雄姿を拝ませてもらったのである。

 

しかし、「倒れたら負け!」くらいの分かりやすいルールならばまだしも、審査員という第三者の評価で順位を決める競技というのは、何度見ても難しいものである。

たとえば今回のように「フィットネス」の大会ならば、身体が完璧に仕上がっており、所定の動作を正確かつ美しく行える選手が、表情も表現力も豊かで生き生きとした姿を披露しようものなら、満場一致で上位に食い込むだろう。

 

だが、そんな選手は一握り。

 

どれほど準備万端で挑もうが、この大舞台で緊張しないはずがない。

ステージから離れたところにいるわたしへも伝わるくらい、誰もが震えていた。

 

にもかかわらず、笑顔を維持しなければならない。しかも「とびきりの笑顔」を――。

本人は一生懸命笑っているつもりでも、見ているこちら、つまり審査員が「いい笑顔だ」と判断しなければ、それは笑っていないのと同じこと。

 

ボディメイクも一筋縄ではいかない。「むっちり感があるほうがいい」と言われたとて、「むっちり」かどうかは人によって異なるため、審査員によっては「絞れていない」と評価する人がいないとも限らない。

さらにヘアスタイルやメイクも、若干なりとも審査する側の好みは出るだろう。

そして悲しいかな、ユニフォーム選びは「運」に左右されることがある。隣りに並んだ選手と自分のユニフォームが丸かぶりだった場合、相手のスタイルやボディメイクが素晴らしければ、自分が引き立て役になりかねないわけで。

 

つまり、ただ筋トレをして、ただポーズやウォーキングのレッスンを受けて、ただキラキラ飾ればいいというものではないのだ。

これらの部分はできて当たり前。その上でいかに自分の良さを引き出せるか、他人に埋もれず抜きんでることができるかが、当然の如く必要不可欠な「準備」なのである。

 

予選を突破できなかった友人らにミスは見られなかった。むしろそつなくこなした印象。

しかしそれでは、日本大会のファイナリストにはなれないのだ。

 

ベストボディに挑戦する彼女たちは、裕福な家庭で遊んで暮らしているわけではない。

中には恵まれた環境の選手もいるが、少なくともわたしの友人らは誰一人として、そういう羨ましい境遇にはいない。

 

ある友人は家事に育児、そして仕事に追われながらもトレーニングの時間を捻出してきた。

さらには自身の趣味である格闘技にも時間を割きつつ、朝から晩まで分刻みでスケジュールをこなしていた。

 

そんな彼女のユニフォーム姿を見たとき、その背中を間近で見つめたとき、わたしは思わず尋ねてしまった。

「背中、こんなにキレイだったっけ?」

彼女の背中が、かつて見たときよりも艶やかで美しく輝いていたからだ。

 

その謎の答えは、エステやマッサージ、産毛剃りにあった。今日のために、この美しい肌を作り上げてきたのだ。

いくらでも散財できるほど、カネに余裕があるわけではないだろう。

しかし、日本一を目指すためには妥協は許されない。納得のいく準備をしたうえでステージに立たなければ、後悔するからだ。

 

(筋肉の付き方といい肌といい、こんなにも素晴らしい完成度なのに・・・)

 

それでも友人は、ファイナルへ進むことができなかった。

 

また別の友人は、今回の大会参加を見送るつもりだったところ、直前で滑り込みの参加表明をした。

彼女なりの強い想いがエントリーを促したのだ。

 

必ずしも、準備期間に十分なトレーニングができたかどうかは分からないが、ステージでの振る舞いを見る限り「完璧」だった。

ユニフォームの色もガラリと変えて、ビジュアルからのアピールも十分だったが、それでも彼女がファイナルへ進むことはなかった。

 

予選の参加人数は60人弱。そこからファイナル進出できるのはわずか10人。

素人のわたしが見ても、ステージへ並んだ時点で半分は脱落。その後一人ずつステージ中央まで歩いて行き、決めのポーズをとるのだが、2~3人しか太鼓判を押せる選手はいない。

つまり素人目にも、明らかに予選突破できる選手とそうでない選手との差が分かるわけで、残りの枠に誰が入るのかはサッパリ見当がつかない。

 

だから本当に、友人らが予選通過できなかった理由が、わからないのだ。

 

(・・きっと11位だったんだろう)

 

わたしはそう信じている。

ファイナリストとの差はなかった。ただちょっとだけ、勝利の風が吹いたか吹かなかったかの違いなだけで。

 

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