とある酔っ払いがみせた人間性の高さ

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夜遅い時間帯の地下鉄はタチが悪い。3月末といえば旅立ちの季節であり、年度末でもある。それに伴い、仲間との別れを惜しみつつ酒に溺れるノータリンも続出するわけだ。

「上司にすすめられたら断れないだろう」

「場の雰囲気を壊したくなかったんだよ」

言い訳はいくらでもある。だが、アルコールが入ったら自分がどうなるのか、分かっているのならばその責任をとるのがオトナだろう。無意識とはいえ、他人に迷惑をかける可能性がある…という自覚を持っていれば、いくらでも防げることだからだ。

 

上司にすすめられたのがアルコールではなく、尿や水銀だったとしても、オマエは断れずに飲むのか?場の雰囲気を保つために、毒を飲むのか?

アルコールは毒だ。いい加減に他人のせいにするのはやめてもらいたい。

 

というわけで、わたしは酔っ払いが大嫌いだ。飲み過ぎて路上で倒れている奴も、電柱のかげで嘔吐している奴も、誰ひとり例外なく自己責任でそうなっているのだから自業自得としか思えない。もしもそうじゃないならば、それは犯罪である。

そして、そこまで酔っぱらっていなくても、足元がおぼつかなかったり動きが明らかにおかしかったりする奴も、他人に迷惑をかけているのだからこの場から去ってもらいたい。

フラついて電車と接触事故でも起こされたら、わたしたちの帰宅が大幅に遅れるので困る。よって、酔いが冷めるまでその辺でじっとしていてもらいた。

 

・・終電が間に合わなくなる?それこそ、自業自得だろう。

 

 

電車のドアが開いた瞬間、わたしの右横からカットインする中年がいた。大きな紙袋を下げ、左右に体を揺さぶりながらフラフラと乗り込むと、空いている座席へドサッとなだれ込んだ。

(クソが・・・)

22時半を過ぎているので、さすがに座席は空いている。だがポツポツといる乗客は、暗黙の了解で両隣を空けて着席しているため、自ずとわたしの席も決まるのだ。

 

運悪く、例の酔っ払いの3席となりに座らされたわたしは、とにかく左を見ないことを誓った。ところが酔っ払いは、自分の右に置いた紙袋の中身を探り始めたのだ。

ガサゴソと無意味かつ不快な音が、わたしの神経を逆撫でする。なにも今、紙袋を漁る必要はないだろう。電車の中ではおとなしくスマホをいじって過ごすのがセオリー。それなのに酔っ払いは、自制心が崩壊しているためやたらとソワソワするのだ。

(あの紙袋、次の駅でホームに放り投げてやろうか・・)

警察の世話になるのは芳しくないため、込み上げる殺意をグッと堪える。

 

チャッチャッチャッ

 

(オイ酔っ払い!ぶっ殺すぞ!?ここは公共の場である地下鉄の車内だぞ?!)

 

なんとその酔っ払いはつまようじを取り出すと、歯の間に詰まった食べかすをチャッチャと、生々しい音とともにほじくっているではないか!

(てめぇの家じゃねんだよここは!汚ねぇ音立てるなら電車降りろやクソがっ!!!)

危うく怒鳴りつけるところだった。それでもなんとか理性を奮い起こし、事なきを得た。

 

左側を見ないと誓ったわたしだが、怒りのあまりワナワナと震えながら酔っ払いを凝視してしまった。すると酔っ払いは、わたしがそうすることを知っていたかのように、若干ニヤッとしながら相変わらずつまようじでチャッチャと歯間をほじくっている。

わたしは、全身全霊の憎悪を眼力に込めて酔っ払いへと放った。願わくばこの強い念により、そのつまようじが折れればいい。紙袋抱えてとっとと消えやがれ!

 

それでもつまようじは折れなかった。さらに、次の駅に到着しても酔っ払いが降りる気配はなかった。クソッ、なんでこんな不愉快な気分にされなきゃいけないんだ――。

 

その駅では、なぜか大勢の人間が乗り込んできた。ポツポツと空いている座席に向かって、次々に腰を下ろす乗客たち。

(そういえばこの酔っ払い、自分の隣りに紙袋を置いているから、一人分座席が埋まってるじゃないか!マジで胸ぐら掴んで引きずり下ろしてやる・・・)

怒りが頂点に達したそのとき、なんと酔っ払いは、いそいそと紙袋を回収すると膝の上に乗せたのだ。さらに、座席に放り投げていたペットボトルを拾うと、慌てて紙袋に詰め込んできっちり一人分の座席を空けたのだ。

 

(オマエ、なかなかやるじゃないか・・・)

 

 

「乗客が少なければ何をしてもいい」というわけではないが、それでも車内が混んできたら自発的に身を正す姿勢は、酔っぱらっているにせよ人間性の高さがうかがえる。

アルコールが入っていないときに、もう一度会ってみたいオッサンであった。

 

Illustrated by 希鳳

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