音速のペテン師(ピアノ・柔術備忘録)

Pocket

 

「ピアノの練習」

というものについて今一度、振り返ってみたい。

ピアノ歴20年の私が思うに、ピアノの練習こそ柔術の練習に通じるものがあるし、その先には社会生活のお手本となる教訓がある。

 

ピアノは88個の鍵盤からなる楽器。

主に両手を使って弾くわけだが、その一つ一つにフォーカスすれば片手であり、指一本ずつの運動の連続で構成されている。

 

一年かけて取り組んできたツェルニー三十番練習曲を卒業し、四十番練習曲に入った私。

これは柔術でいうところの白帯から青帯に上がった頃だろう。

 

四十番ツェルニーの1番は明らかな右手の練習、2番は明らかな左手の練習。

難易度で言えば三十番練習曲と大差なく、むしろ誰でも弾ける音階の連続でできている。

しかし指示された速さで弾くと、途端に粗が目立つ。

 

そんな時はどうするのか。

 

まずは片手で練習をする。

弾けない部分が右手の箇所であれば、右手のみで練習をする。

至極当たり前のことだが、とくにピアノ初心者は両手で弾きたがるため、左手にスマホを持たせてでも右手の練習をすべし。

 

次に、リズムを変えて弾く。

楽譜どおりの十六分音符が連続する音階ではなく、わざと付点やシンコペーションをつけてリズムを変えることで、勢いまかせにサラサラ弾き飛ばしていた「ごまかし」が効かなくなる。

 

そう、同じパッセージでもリズムを変えるだけで化けの皮は剥がれる。

 

人にはクセが付き物。

得意な弾き方でまとめる能力は、ある程度、誰にでも備わっている。

もしこの一曲でピアノ人生が終わるのならば、上手いこと乗り切って有終の美を飾ればいい。

だが、ピアノの道はこれからも続くだろう。

 

余生を豊かに過ごしたいのであれば、今はラクなほうへ逃げるべきではない。

実際、「このフレーズが上手く弾けていない」ことは、紛れもなく本人が気づいている。

それをごまかして進むのか、立ち止まって解体するのか、勇気と度胸の見せどころだろう。

 

「スピード」というのは恐ろしいもので、ディテールをすっ飛ばして丸く収めてしまう効果がある。

高速で動かしている指がどれだけ正確に、いや、どれだけ自分の意志で動かせているのかをうやむやにしてしまう恐ろしさがあるのだ。

 

スピードという隠れ蓑を剥ぎとり、一つ一つ解体したとき、初めて自分の弱点が晒される。

 

臆することなく解体作業に着手できれば、堅固な土台を築くことができるだろう。

その時、最初は絶望にぶつかる。

 

「何年も練習してきたのに、こんな簡単なフレーズが弾けないなんて」

 

にわかに信じがたい現実から目をそむけたくなる。

だが、これこそが現実。

見て見ぬふりをして逃げるのか、現実を直視して向き合うのか。

確実にその後の結果が変わるこの決断は、早いうちに下すべき。

 

私は20年近く、この決断を怠った。

そのせいで夢は幻となった。

 

 

「指づかい」というものにも注目すべきだろう。

 

私は昔から、たまたま鍵盤の上にある指で適当に弾くクセがあった。

つまり、間違った指づかいで強引に弾き飛ばしていた。

 

そしてそれが仇となり、滑らかな演奏をつまずかせてきた。

 

ムラのある音をごまかすためにスピードをぶつけて取り繕ってきたのだが、ここへ来て大人になった私は、解体作業と向き合うことにした。

 

さすがはベートーヴェンの愛弟子であるツェルニー、正しい指づかいしか記していない。

楽譜どおりの指づかいで弾いたところ、滑らかに進むではないか。

(失礼)

 

指づかいの次には、指の流暢さと手首や肘の柔軟さを意識する。

一定の圧力で鍵盤を押すためには「脱力」が重要。

とくに「手首と肘」の使い方によってこの辺りはかなり左右される。

 

ピアノは指で弾くものと思われがちだが、むしろ手首や肘、体全体で弾くものだろう。

 

部分的な動きは、実は大きな動きの一部であることをピアノから学ぶ。

 

 

物理的な動きだけでなく、耳で聞きながら頭で考えることも、ピアノを弾く上で無視できない部分といえる。

 

たとえば両手で弾くときも、左右どちらの手がメインなのかを感じながら弾くことで、演奏にメリハリが生まれる。

トータルのバランスも大切だが、「今どちらの手が主役なのか」に耳を傾けると、主役を引き立てるように逆の手が調整し出す。

もちろん、主役を引き立てようという気がなければ何も変わらないが、そう思いながら弾くことで、自ずと豊かな演奏に近づけることができる。

 

ーーここまで述べてきたことは「ピアノの弾き方」についてだが、柔術の練習に落とし込んでみるとどれも当てはまることばかり。

いや、柔術だけでなく社会生活に置き換えても同じだ。

 

結果ばかりにこだわり、その途中をすっ飛ばして見ぬふりをしているうちは、いずれ化けの皮が剝がれる。

くどいようだが、そこで人生が終わるのならばそれでも構わない。

だが、これからも続く人生なのであれば、今すぐ立ち止まって解体作業に取り組むべきだろう。

 

基礎工事のしっかりした建造物は、どこから見ても触っても立派で頑丈なもの。

言うまでもないが、過剰な補強は不要。

肝心なのは、バランス。

 

(20年間の無駄を経て再スタートした私の、備忘録)

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です