相棒になり損ねたアイツ

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偏見というか思い込みというか、やはり実際に体験してみないと分からないことは、この世にたくさんある。

 

中途失明により、人生のほとんどを真っ暗闇で過ごしてきた父は、頑固で堅物、おまけに理屈っぽい。

わたしとは違い、勤勉かつ新しいものに興味を示すタイプの父。それゆえ、点字の分厚い辞書やら広辞苑やらが、実家には所せましと貯蔵されている。

 

「時間を作って、本多清六の本を読んでみなさい」

 

点字図書には限りがある。よって、Amazonで購入すれば明日には届く…なんて生易しい環境ではない。

そのため、読書好きの父は、自分の読みたい本をわたしに読ませようとする。そして読書嫌いのわたしは、いつもそれを面倒くさがるのがルーティンとなっている。

 

視覚障害者用の本は、点字図書のほかに、音声収録された「録音図書」がある。指で点字を追うよりも、耳で聞いたほうが明らかにスピーディーなので、父はこれを借りてきては聞きまくっていた。

さらに株など投資への意欲が強い父は、家中のラジオで株式市況を響かせては、母に激怒されていた。

 

そんな父も高齢となり、目の代わりに酷使してきた耳が遠くなってきた。

とくに左耳は中等度の難聴のため、左側から話しかけるとほぼ無視される。

 

そこでわたしは、父が長年拒み続けた「補聴器」の着用を、今夏より義務づけた。

その昔、試しにつけたことのある古いタイプの補聴器しか知らない父は、耳鼻科へ行く前からブツブツ文句を言っていた。

 

「耳の穴を塞ぐ感じが嫌なんだよ」

 

どうやら通常のイヤフォンよりも、さらに耳の奥へ突っ込む補聴器に、恐怖を覚えている様子。

(でたでた、食わず嫌いの典型っ!)

今と昔じゃ比べるまでもないが、テクノロジーの進歩は月とすっぽん。にもかかわらず、過去のトラウマを乗り越えられずに、未だに父は補聴器に怯えているのだ。

 

そこでわたしが強制的に耳鼻科を予約し、とりあえずは最新型の補聴器を耳の穴に入れる訓練をさせることにした。

 

「夏は暑くて外出するのが大変だから、もう少し涼しくなったら行く」

 

ふざけるな!滝汗かいてでも、耳鼻科の入り口をくぐりやがれ!

 

こうして、超軽量で見た目もオシャレ、色はなんとシャンパンゴールドの最新型補聴器を、しばらくの間お試しで使用することとなった父。

しかし、装着当初からうだうだと不満を漏らしていた。

 

まぁまぁ、あれほどまでに嫌悪感を示していた「憎き補聴器」なわけで、そう簡単に「素晴らしい!」などとはならないことくらい、こちらも想定済み。

そこでわたしは、自らの体験談を聞かせてやった。

 

「それこそ昔、携帯電話をAndroidからiPhoneに変えたとき、タッチパネルの感覚やフリック入力の違和感で、2週間くらい後悔したよ」

 

今となっては懐かしい思い出だが、その当時は非常に苦痛だったことを覚えている。

とくにフリック入力に慣れるまでは、「こんな入力方式の、どこが使いやすいんだ!」と、日々半ギレだった記憶しかない。

しかししばらくすると、むしろフリック入力の使いやすさに指が慣れてしまい、今までの倍のスピードで文字入力が可能となったのだ。

 

違和感があるのは最初のうちだけ。1ヶ月もすれば今より慣れるだろう。

そして3ヶ月が過ぎる頃、文句を言っていた自分が恥ずかしいと思えるほどに、補聴器との一体感に酔いしれているだろう――。

 

 

初診から2ヶ月が過ぎた今日、わたしは父と対面した。そして補聴器の調子を聞いてみた。

 

「コンサートホールで声を聞いてるみたいに、反響するんだよ」

 

まだそんなことを言っているのか!

 

「それと、拾った音を一点のスピーカーから流すから、相手がどこにいるのか分からないんだよ」

 

なにを訳の分からない屁理屈こねてるんだ!

 

そこでわたしは、試しに父の補聴器を装着してみた。

するとそこには、予想以上に未知の世界が広がっていた。

 

まず、オシャレな耳掛け部分にマイクが内蔵されているのだが、それが髪の毛やマスクの紐が触れるたびに、ガサガサと無駄な雑音を運んでくるのだ。

物理的に何かが接触しているのだから、音がして当然といえば当然。しかし、ここまであらゆる音を拾うとなると、必要な会話すら聞き逃す可能性がある。

 

さらに、ヒトの声が二重に聞こえるのだ。

音を増幅させているだけあり、たしかに声は大きくハッキリと聞こえる。だがそれと同時に、なんとも言えない不快な高音…たとえるならば、レジ袋をクシャクシャにするときの音が、声と見事にハモるのだ。

 

(なんだ?!この宇宙人ぽい声質は?!)

 

発音するたびに、シャカシャカと耳障りな機械音が付いてくるため、これは非常に不快である。

 

そして、耳の穴に突っ込んだレシーバー(スピーカー)から、集約された音が出るため、目の見えない父からすると、どの方向からの音なのか判断できないのだ。

目をつむって会話を続けると、なるほど、どこに相手がいるのかわからない。

これでは、誰かに声をかけられたとしても、どちらを向けばいいのかわからない――。

 

わたしは補聴器を外すと、父の手のひらに押し込んだ。

 

「これはたしかに、快適とは言えないわ」

 

ヒトの声を拾い、増幅させて鼓膜へと伝えてくれる機能は、間違いなく「以前よりも、よく聞こえる」といっていい。

だがそこに、重複するような宇宙人的シャカシャカ音や、どの方向から音が聞こえるのかが判断できない不安を鑑みると、全盲の父にとって「最高の相棒」とはいえない。

 

(トラウマから抜け出せないだの食わず嫌いだのと、決めつけてわるかったな)

 

とりあえず心の中で謝罪するとともに、発言を撤回したのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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