読書嫌いのわたしへ、一冊の文庫本が送られてきた。
2日前に「ビジネスパーソン(笑)」という記事を投稿し、それを見た友人が
「ぜひともこれを読んでほしい」
と手配してくれたのだ。
きっかけは、わたしが
「ビジネスパーソンという言葉は、ビジネスマンという呼び方が(ポリティカル・コレクトネスの観点から)女性差別を連想させるため、『マン』を『パーソン』に変えたのだろう」
と発言したことによる。
正直「くだらない」という趣旨で書いたのだが、日本語というやつは掘れば掘るほど「くだらない」が出てくるから面白い。
本のタイトルは「その言葉、もう使われていませんよ」。
反論される気マンマンのネーミングに、むしろあっぱれ。
とりあえず最初のページを開いた3秒後、わたしはスマホに手を伸ばす。そして小学生の子を持つ友人にこう質問した。
「娘ちゃん、『はだ色』ってどんな色か分かる?」
質問の意図は、文中に書かれたこの内容の真偽を確かめるためだ。
(中略)今の小学生は「はだ色」という言葉を知りません。
いやいや、さすがにウソだろ。
言いたいこと、伝えたいことは分かる。人間の「肌の色」は、必ずしも日本人のようなベージュっぽい色ではないわけで、「はだ色=黄色人種の肌の色」となるような表記は人種差別にあたる、ということだろう。
まったくその通りで異論の余地はない。
だが「『はだ色』という言葉を知りません。」は、言い過ぎ。
むしろ、初めて「はだ色」という言葉を聞いた日本人の小学生に、「はだ色」に該当するクレヨンを選ばせたらどうなるだろうか。
いわゆる「はだ色」を選ばないとでも言うのか。
もはや笑止の至り。
*
この本を読んで感じたことは、日本人はコンプレックスのかたまりだ、ということ。
紹介されている新旧用語の半分は、外国語をカタカナ表記するならばこうなる、というもので、読んでいて恥ずかしくなる。
「シャンペン」は「シャンパン」、「メルヘン」は「メルヒェン」、「カンファレンス」は「コンファレンス」というように、発音を改めているに過ぎない。
さらに「ファックス」は「ファクス」、「リンカーン」は「リンカン」、「クリスティアノ・ロナルド」は「クリスティアノ・ロナウド」といった具合に、本当に些末な変更であり、正直どうでもいいしどちらでもいい。
そもそも外国語をカタカナで表記しようとすることに無理がある。発音を正確に表せるほど、日本語にバラエティー(多様性)がないからだ。
*
過去に区役所勤務をしていた時、わたしは年金事務所の職員とこんな議論を交わしたことがある。
ーーアフリカからやって来た家族が、住民登録と同時に年金加入の手続きを行った。
年金は「氏名の読み方」が必須のため、わたしは彼らに名前の発音を尋ねる。
しかし、名を「ンドカ」と言う男性について、日本年金機構のルールで「ン」から始まる読みは使用できないため、「ウンドカ」か「ムドカ」にするしかない。
だが当人にしてみれば「それは自分の名前ではない」となり、話が進まない。
わたしは年金事務所の職員に、「チャドの首都はンジャメナだけど、それでもンから始まる言葉は否定されるの?」と交渉するも、「はい、申し訳ありません」の一点張り。
結局その日、ンドカさんファミリーは年金加入をせずに帰ってしまった。
彼らだけではない。フランス人やロシア人からも「自分の名前はそんな発音じゃない」と、クレームされることが度々あった。
そりゃそうだ。外国語の発音を日本語に落とし込むなど、当然ながら無理がある。
だったら「パスポートのように、ローマ字表記で統一すればいいじゃないか」と思うが、さすがは日本のお役所。そう簡単に日本語を手放さない。
当時の複雑な出来事を思い出しながら、ページをめくり続けた。
「グローブ」は「グラブ」となっているが、それを言うならば「グラヴ」のほうが正確な表記だろう。
「ビールス」は「ウイルス」となっているが、発音するならば「ヴァイラス」だけど、そこは無視?
さらに「エキシビジョン」は「エキジビション」となっているが、これなどまったくと言っていいほど間違っている。
Exhibitionの発音表記は「èksəbíʃən」で、あえてカタカナで表すならば「エクスビション」となり、少なくとも「エキジ」などと発音することはない。発音表記を見れば一目瞭然。
せめて、濁音とそうでないものの区別くらいキチンとしたらどうか。
エキ「ジ」と濁らない、百歩譲ってもエキ「シ」だ。
ここまでして外国語をカタカナで表し、かつ、少しでも原音に近い発音で表記しようとする努力は認める。
しかし、それをもって「正しい」「間違い」の基準にしてしまうようでは、日本もおしまいだ。
だって、そもそも「無理」なんだから。
*
冒頭の友人へ尋ねた質問の答えが返ってきた。
「この『うすだいだい』って書いてある色を、はだいろって言うんだよ」
これが娘ちゃん(小学生)の答えだ。
本を売るために、センセーショナルな言葉を並べることは効果的かもしれない。
だが、「今の小学生は知りません」と言い切るのはいかがなものか。それは明らかに「ウソ」で、その「ウソ」で金儲けをすることに良心の呵責を感じないのだろうか。
・・と、激しい反論を期待しているのがこの本の意図するところであり、これに乗っかって騒げば騒ぐほど、出版社の思惑通りとなる。
よって、静かに本を閉じることとしよう。
Illustrated by 希鳳
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