友人の六田(仮名)は変わっている。
家ではちゃんちゃんこをはおり、雪駄を引っかけ、煙管(きせる)でもくわえていそうな、今どき珍しい古風な男。
六田との出会いは10年前。
友人の選挙を手伝いに大阪へ行った時のこと。一風変わった奴がいる。なんというか、生を受ける時代を間違えたかのような、時代錯誤な才能に溢れた優秀な変人とでも言おうか。
そんな六田は早稲田大学で哲学を学んだ。まぁ見るからに「そんな感じ」なのだ。
大学卒業後の話になったところ、明言を避ける言い方をしたため、
「留年でもしたの?」
と半分からかいながら尋ねると、
「まぁ、そんなところやね」
と答えた。
留年というのも六田らしく「わかるわかる」となった。
しかしいつだったか、その「留年」が留年などではなく、大学院に通っていたことが発覚した。
さらに入学先が東工大というから驚いた。
東工大(東京工業大学)といえば日本トップクラスの国立理系大学。
イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が公表した「世界大学ランキング日本版2021」の総合ランキングでは、東京大学を1ポイント抑えて堂々の2位に輝いている(ちなみに1位は東北大学)。
ましてや「文系」の六田がなぜ「理系」の大学院へ行ったのか。驚きと謎でしかない。
「理転したんやないんよね、オレ元々理系やから」
・・・へ?ではなぜ早稲田の文学部へ?
「高校の時の先生でオモロイ人がいはって、その人が早稲田やったんよ」
そうなのだ。高校の国語の先生が非常に面白い人で、その人に感化された六田は、理系進学コースに在籍していたにもかかわらず、私立文系を受験し見事合格したのだ。
まぁこれだけでも圧倒的な頭のデキの違いがわかるのだが。
ちなみにうろ覚えだが、確かその先生が「エロス」について語ったことに感銘を受け、
「こんな面白いことが学べる哲学科へ行ってみたい。長い人生、4年くらい回り道したって大差ない」
となり、急遽、早稲田大学を受験したのだ。
(後日、わたしの記憶が確かがどうかを本人に確認したところ、「エロスじゃなくて、文楽や西鶴に興味を持たせてくれた先生や」と怒られた)
ともあれ4年間エロスについて学んだ後、本来の分野である理系へと進んだ六田。
彼自身が予てから学びたかったことを修得するべく、大学院へ入学したわけだ。
学校へは行かず、雀荘でのバイトに明け暮れた結果留年したわたしと比べると、ものすごく大きな差を感じる。
大学卒業後の進路を濁した六田に対して、てっきり「留年したことを恥じている」と勘違いしたわたしは、
「なんだ、六田も似た者同士だね!」
などと軽口を叩いたわけだが、とんでもない赤っ恥をかいてしまった。
そして今、六田は父の後を継ぎ「工芸職人」をしている。
彼の父は美術大学で講師を務めるなど、多くの工芸品に関わり、次世代の担い手を生んできた。
ーー何かがおかしい。なぜこんなにも万能な人間が存在するのだろうか。
これで六田が、工芸品を作るのがめちゃくちゃ下手ならば問題ない。
だが多くのクライアントから依頼を受け、その道のプロとしてキャリアを築いているのだから、世の中不公平だ。
そんな六田から久しぶりにメールが届いた。
「おはようさんです。人工物のゴーストタウンは半ば滑稽ですが、名所旧跡のしーんは最高ですね。うろうろしてます。」
こんな出だしで始まっていた。これこそ哲学科出身の書く文章だろう。
そして何やら添付ファイルがあるので開いてみると、
「九州のとある島を舞台とした小説の一節です」
と、冒頭に記されている。
メールへ戻ると続きがあり、
「ちなみに今年から地方の学校で工芸の授業をしてますねん。余談ですが、つい先日学生に投げかけた課題があって、URABEさんにもチェックしてもらおうと思い立ちて添付してます。忙し思うんやけれど、寸暇、気晴らしにでも」
と書かれている。再度、添付ファイルへ戻る。
「質問:あなたの「自分の存在の根幹をなすところのもの」は、どのようなものと思いますか。自由に考えてみてください。」
これが「学生に投げかけた課題」だ。
もちろん、本文を読んでからでなければ、下線部の意味は分かりにくい。
だが、本文を10回ほど読み返したにもかかわらず、わたしには一向に答えが浮かんでこない。
ーー自分の存在の、根幹?
メールをもらってから、かれこれ15時間は考え続けている。しかしなぜか、全く思いつかない。
そもそも「自分の存在」というものに意識を向けたことがない。
そこへきて「根幹」となると、漠然と考えたことすらない上に、さらにコアとなる部分についてなど、考えを巡らすことなどできるはずもない。
ーークリエイティブ系の学生は、常日頃こんなことを考えさせられてるのか。よかった、ソッチ方面へ行かなくて。
とうとう、全く関係ないところで安堵する始末。
だが今、ようやくこの課題の意味を理解できた。
「自由に考えてみてください」
そう。わたしは課題をクリアしたのだ。
(了)
Illustrated by 希鳳
コメントを残す